源高雅
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一条朝にて但馬守・甲斐守・讃岐守・近江守と地方官を歴任し、位階は長保3年(1001年)に従四位下に至っている。妻(藤原親明の娘)が藤原道長室の源倫子の乳母子であり、高雅は道長の家司も務めた。長保2年(1000年)道長の娘である藤原彰子が立后すると中宮権大進(のち中宮亮)に任ぜられている。
寛弘6年(1009年)8月27日に官職を辞して翌日出家。まもなく卒去したとみられる。没年は不明だが寛弘9年(1012年)の時点では「故高雅」と書かれていた事からこの年には没していた[1]。
子女達に恵まれ、娘の1人の公子は道長次男の藤原頼宗の妾妻となって基貞を産み、懿子は道長の六男の藤原長家の後妻となり藤原定家の曽祖父である忠家等を生んでいる。