寛永7年(1630年)、滝川辰政の嫡男宗次の嫡男として生まれる。祖父辰政は滝川一益の子で、一宗は一益の曾孫に当たる。
慶安5年(1652年)、岡山藩家老池田由成の娘・六子と結婚したが、翌承応2年(1653年)に死別した[4]。
万治3年(1660年)、当時有力藩に命じられていた重臣の子弟からの証人に選ばれて江戸に送られ、翌寛文元年(1661年)に帰国。寛文3年(1663年)に再び証人となって翌4年(1664年)帰国した。
この間、寛文2年(1662年)に光政の娘六姫と結婚した。六姫は万治元年(1658年)に証人から帰国した池田由成の嫡男池田由貞に嫁いでいたが、同3年(1660年)8月に由貞が出奔したため離縁して光政のもとに戻されており(由貞は12月に自害)、一宗には再嫁であった[4]。
ところが、延宝2年(1674年)、一宗は突如狂気して自害した。一宗の不審な死については様々な風説があり、『池田家履歴略記』は一説に六姫の嫉妬によるものとも言うと記す。
寡婦となった六姫は光政のもとに帰り、一宗と六姫の間に生まれた2歳の娘於吉(吉姫)はしばらく祖父である宗次によって養育された後、延宝4年(1676年)に六姫のもとに引き取られた。吉姫はのちに光政の次の藩主池田綱政の養女として、鴨方藩主池田政言(光政庶子)の嫡男政倚に嫁いだ[7]。
一宗に男子はなく、宗次は弟の杢之丞(一信)を改めて嫡男に立てた。