滝川春章
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正徳3年12月(1714年1月)、500石を知行する旗本古田重弘の次男として江戸で生まれる[2]。春章は父が65歳になってから側室に産ませた子で、すでに古田家の家督は養孫の重興に譲られていた。正徳5年(1715年)、重興は早世するが、3歳の春章ではなく20歳の古好が末期養子となって継ぐことになり、春章は実家を継ぐことのできない部屋住みとして成長した[3]。
延享2年12月(1746年1月)、2000石を知行する留守居滝川元長[注釈 1]は、前月に養子元統が病死したことから33歳の春章を養子に迎え、元統の未亡人である陸奥国三春藩の藩士宇佐美与右衛門胤珍の娘を自身の養女として娶せた[1]。
翌延享3年(1746年)3月に将軍徳川家重に御目見して元長の養嗣子として認められ、4年(1747年)11月に将軍の身の回りの世話をする小納戸に任命された。翌月(1748年1月)に養父元長が病死して家督を継ぎ、布衣の着用を許された[1]。
宝暦10年(1760年)5月、家重が家治に将軍職を譲ると大御所家重付きとして二ノ丸に移った。11年(1761年)6月に家重が没したため8月に小納戸を免じられて寄合に列したが、9月に家治の小納戸として復職[1]。
宝暦12年(1762年)11月、家治の世子竹千代(家基)に附属[2]されて西ノ丸に候するが、翌12月(1763年1月)に病死した。享年50[1]。