潘鴻鈞
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河南省魯山県出身。保定講武堂を卒業し[1]、北洋新軍第5鎮(中国語版)(統制:呉長純(中国語版))歩隊第10協歩隊第19標統帯(連隊長)[3]。中華民国成立後は北洋政府に属し、同年9月に同部隊は中央陸軍第5師歩兵第10旅歩兵第19団に改称され、済寧に駐屯。
1913年2月10日、歩兵上校[4]。
二次革命時、第5師隷下部隊は砲兵第5団鄭士琦率いる歩兵1個営、砲兵1個連が微山県韓荘鎮(中国語版)の利国駅(中国語版)にて徐州で決起した冷遹(中国語版)の討袁軍第3師と激戦を繰り広げていた。7月18日、潘も済寧より援軍として投入され、雨の中を部隊を率いて韓庄に到着、交戦の末に討袁軍を退けた[5][6]。8月に少将加銜[7]、翌9月に正式に少将に昇進[8]。
1914年8月3日、歩兵第10旅は第5師の指揮下を離れて山東陸軍第1混成旅(旅長:施従浜(中国語版))に再編され、隷下第1団団長となる[3]。
1918年(民国7年)1月4日、第1混成旅は山東暫編陸軍第1師に拡充され、潘は隷下歩兵第1旅旅長となるが[9]、それから半年もたたない6月27日、山東暫編陸軍第1師は解散し、隷下2個旅は分離独立して[10]、うち潘は中央陸軍第1混成旅長となった[11]。
民國10年(1921年)、湖北省、湖南省に派兵し、唐継尭との作戦に参加。済寧への凱旋後、潘家大楼(中国語版)と呼ばれる豪邸を建てた[1][12]。1923年12月22日、北洋将軍府(中国語版)より廓威将軍の位を得た[13]。
民国13年(1924年)の江浙戦争では、山東督軍鄭士琦の名を受け、江蘇省に援軍に赴く[14]。
1924年9月17日に第2次奉直戦争が勃発すると討奉援軍第九路司令に発令され、天津に赴く[1]。しかしその最中に馮玉祥が北京政変を起こし、配下の岳維峻率いる国民第二軍が天津、馬厰に展開する直隷軍を襲撃。1924年11月2日黎明、楊村(中国語版)後方より国民第二軍第1師第2旅(長:李紀才)の強襲を受け、部隊ごと捕虜となる。[15][16]。その後、国民軍の学兵団によって北京の旃檀寺に監禁される。他の収容者には張敬尭や李彦青がいた。張敬尭と潘はほどなくして釈放されたが、李彦青は馮玉祥の武器や物資の供給を妨害していたため天橋にて銃殺刑となった[17]。
1924年11月、奉天派の鎮威軍第二軍副軍長張宗昌の命を受けた第三混成旅旅長褚玉璞により兖州と済寧は占領され、潘率いる陸軍第一混成旅は、兖州鎮守使張培栄(中国語版)率いる山東陸軍第6混成旅、胡翼儒率いる同第7混成旅、呉長植(中国語版)率いる陸軍第20混成旅ともども奉天派に帰順する。また、陸軍第一混成旅は1926年2月に直魯聯軍(中国語版)1個師に改編され、魚台地区に駐屯した[18]。
1927年2月1日時点で直魯聯軍第24軍軍長として、第9軍軍長の朱泮藻(中国語版)とともに陸軍上将に任ぜられている[19]。
6月29日、南京方面より北伐軍第10軍が鄒県に迫り、暫編第11軍の馬祥斌と王金韜の部隊が金郷県を占領。撃破された潘は杜鳳舉の部隊ともども済寧に追いやられた[20]。
10月9日、直魯聯軍は褚玉璞を前敵総司令として馮玉祥の掌握する河南省への反転攻勢を開始した。潘率いる第24軍は第23軍軍長・劉志陸(中国語版)の指揮する右路に組み込まれ、11月16日、劉鎮華率いる第8方面軍第2路を撃破し、東部の考城を占領した。しかし24日、馮玉祥は6個路の大軍によって反撃を開始し、孫良誠率いる第1方面軍が考城を包囲した。25日、進退極まった潘はついに敗死。司令官を失った考城は翌26日に陥落し、旅長以上の高級軍官4名を含む将兵2万名以上、小銃1万梃以上は全て国民革命軍に接収された[21][22][3]。
出典
- 1 2 3 4 济宁市城区文物景点,中国济宁,2009-09-14 Archived 2012-07-22 at the Wayback Machine.
- ↑ 来新夏,北洋军阀5,上海人民出版社,1988年,第387页
- 1 2 3 郭卿友主编,中華民國時期軍政職官誌(上),甘肃人民出版社,1990年
- ↑ “政府広報第276号” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2024年11月17日閲覧。
- ↑ 微山縣志,山东人民出版社,1997年,第882页
- ↑ 历史年鉴: 一部记录了100年来历史洗礼的经典收藏丛书. 年鉴, 1849-1950(13),吉林文史出版社,2006年,第24页
- ↑ “政府広報第455号” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2024年11月17日閲覧。
- ↑ “政府広報第490号” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2024年11月17日閲覧。
- ↑ 中華民國史檔案資料滙编3(3),江苏古籍出版社,第556页
- ↑ 06_27,山东省情网,2007-07-16[リンク切れ]
- ↑ 中華民國史檔案資料滙编3(3),江苏古籍出版社,第414页
- ↑ 閻錫山檔案: 要電錄存8,国史馆,2003年,第52页
- ↑ 1923年12月23日第2793号. 《政府公报》第二〇四册.
- ↑ 江苏省志 军事志(上),军事科学出版社,第123页
- ↑ 王宗华, 刘曼容,国民军史,武汉大学出版社,1996年,第39页
- ↑ 田子渝、刘德军主编,中国近代军阀史词典,档案出版社,1989年,第363页
- ↑ 抗日名将张自忠,中国文史出版社,1987年,第30页
- ↑ “济宁市志(1840-1990) 第二十三篇军事 第一章驻军 第二节北洋军”. 山东省情网. 2020年12月16日閲覧。
- ↑ 軍事史林2002(1-12),第46页
- ↑ 郭廷以,中华民国史事日志,中央研究院近代史研究所,1978年
- ↑ 张庆军、刘冰,《北伐壮举》,吉林文史出版社,1996年,第315页
- ↑ 姜克夫,民国军事史略稿1,中华书局,1987年,第325页