瀬戸地蔵
From Wikipedia, the free encyclopedia
伝説

奈良時代に、行基が播州清水寺にいたころ、ある時に、都へ上ろうとして清水寺の麓にある今田木津へ降りたち、芦原へ至った。それは近道であり、氷上郡から大阪方面へ行くのに、氷上郡谷川から今田町黒石を経て、本荘~市原~木津へと続く旅人が必ず通る道であったが、断崖絶壁となっており、その下は深い淵であった。行基が通りかかった時、そこで数人の村人がお経を唱えていた。行基が村人に訳を訪ねると、絶壁の斜面を旅人が通る際に、たびたび落ちて死ぬのだという。先日は、上流から死んだ赤子が菰に包まれ、投げ捨てられてその淵まで流されてきたのだとも聞いた。この度の読経は、先日亡くなった人の弔いだという。それを聞いた行基は、悲しい出来事が再び起こらないよう、願いを込め絶壁の岩面に地蔵立像を彫り込んで、交通安全と死んだ人たちの供養を行ったという。現在も祭りが続けられている[2]。

