瀬野修 日本の教師、兵士、歌人、作家 From Wikipedia, the free encyclopedia 瀬野 修(せの おさむ、1908年 - 1995年[1])は、日本の教師、兵士、歌人、作家。択捉島に出征後、敗戦後シベリアにて抑留中に和歌集『白樺日誌』を書き、日本に持ち帰ったことで知られる[2]。基本的に名前は「修」表記であるが、国立情報学研究所では「脩」表記である[1]。 ポータル 文学 経歴 1908年、京都府舞鶴市に生まれる。その後、旧制舞鶴中学校(現・京都府立西舞鶴高等学校)の教師として働いたのち、太平洋戦争において択捉島に兵士として出征後、終戦を迎え抑留される。ソ連コムソモリスク近郊の収容所を転々としながらシラカバの木の皮を使い、ガラスをとがらせペンに、煙突のすすをインク代わりにし全200-300首の和歌を書いた[2][3][4][5]。 1947年に引き揚げされた時に白樺日誌を持ち帰り、1988年に舞鶴引揚記念館に『白樺日誌』を寄贈した[2][3]。 日本帰還後は執筆活動を行い、計3冊を著した[1]。 1995年に死去。享年87歳[5]。 著書 『シベリヤ抑留記』虹有社 1947年 『シベリヤ抑留記』大空社 1999年(復刻) 『白樺日誌 : ユネスコ世界記憶遺産登録 : 改訂版図録』舞鶴・引揚語りの会、舞鶴引揚記念館 2016年 脚注 [脚注の使い方] [1]“56450139 瀬野, 修, 1908-1995”. viaf.org. 2023年9月4日閲覧。 [2]“看病する者もあらなく幽囚の身を”. 舞鶴引揚記念館. 2023年9月3日閲覧。 [3]“シベリア抑留の記録36枚、「白樺日誌」科学的に調査 文字の細部など新たに確認 舞鶴引揚記念館 /京都”. 毎日新聞. 2020年6月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月3日閲覧。 [4]“「引き揚げ」の記憶を次世代へ”. 舞鶴市. 2023年9月3日閲覧。 [5]“瀬野さん、シベリア抑留中に白樺の樹皮に短歌 7月17日まで引揚記念館で歌日誌特別展後編【舞鶴】 - 舞鶴の新鮮な情報配信 Maipress-マイプレス- 舞鶴市民新聞” (japanese) (2007年6月19日). 2023年9月4日閲覧。 Related Articles~TimelinesTop QsFact Checks