白樺日誌
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→詳細は「択捉島 § ソビエト時代」、および「シベリア抑留」を参照
作成者の瀬野はもともと旧制舞鶴中学校の教師であったが、時代は太平洋戦争に突入し1944年に瀬野も択捉島へ出征する。その後1945年9月2日の降伏文書調印直前である8月28日に日ソ中立条約をソ連軍が破り択捉島に上陸、占領。以降抑留者としてコムソモリスク近郊の収容所を転々としていた[1][3]。
その中で1945年9月下旬ごろから瀬野は抑留中にシラカバの木の皮をはぎ、空き缶の先をペンとし、煙突のすすをインク代わりにして縦10センチ・横11センチほどの樹皮52枚のうち、36枚の表裏にから成る母国や家族への思い、日々の生活を織り込んだ約200 - 300首の和歌集を作成した。これが白樺日誌である[1][4][3][5]。