無尽灯
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背景
製作・販売
奥村菅次の無尽燈は文化六(1809)年、彼が膳所に移った頃に製作され始めたと言われる[2]。その構造は内部に仕掛けられたバネの圧力によって、油をガラスの火屋に囲まれた芯まで押し上げるタイプであった。明治に至るまで一族がその製造販売を行っていた[2]。大野弁吉の無尽灯も精巧なスプリングを利用した作りである[4]。大隈源助の無尽灯として、ねじでピストンを上げ油部を上げるタイプもあった。田中久重の無尽灯は天保八(1837)年に考案したとされ、オランダの空気銃の原理が応用されており、ポンプを上下させることで空気の圧力をかけ、油を芯まで上昇させる形式であった。[1][2]田中久重により大々的に宣伝され、高価であったにもかかわらず、大阪・京都・滋賀などで商家を中心に売れ、最も多く普及したという[5][2]。また同時代には無尽灯と同様にガラスで周りを覆い炎を安定させ、油を一晩注ぎ足す必要のないものとして、国友一貫斎が玉燈と呼ばれた灯火具を開発もしているが、こちらは商品化には至らなかったとみられる[2]。
性能
開港後
安政六(1859)年の開港後、石油と石油ランプがもたらされるようになると、西洋でアルガン灯(英語: Argand lamp)が石油ランプに移行したのと同様に、日本でも石油ランプが次第に普及する。開港後の日本では物価の高騰が続き、大坂では安政六年に一石当たり450匁以下だった菜種油の値段が、慶応三(1867)年には2551匁となった[6]。石油ランプは幕末・明治初年は大変高価であったが、明治七年には「東京日日新聞」でランプの一般庶民への流行を報じられるとともに、「舶来のみならず和製のランプも出廻り、東京市内に普及す」と和製の石油ランプも出回り始めていたことが記される。菜種油に比べて石油の価格は半値であり、その明るさも灯明の0.25燭光、行灯の0.2燭光を遥かに上回る3.2燭光であり、急速に普及した。石油は明治元年以降に急速に輸入が増え、菜種油や魚油などの灯火需要は石油に移り、電灯が普及するまで一般家庭では石油ランプの時代が続くこととなった[6]。