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熊望

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熊 望(ゆう ぼう、生没年不詳)は、唐代の官僚。字は原師[1]。

進士に及第した。弁論を得意とし、公卿のあいだを遊説して、時政を批判した。京兆尹の劉栖楚が広く朋党を求めると、熊望はその門戸に出入りし、その陰謀計画に参与した。敬宗は歌詩を好んだが、翰林学士が重んじられてその風潮に乗ろうとしなかったため、別に東頭学士を置いて、曲宴に詩を賦させようとの議論が起こった。劉栖楚はこれに熊望を推薦したが、その人事が発効する前に敬宗は死去した[2][1]。

宝暦2年12月(827年1月)、文宗が即位し、韋処厚が政権を握った。大和元年(同年)、劉栖楚が桂管観察使に左遷されると、熊望も漳州司戸参軍に左遷された[3][1]。

脚注

伝記資料

参考文献

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