熊渠 From Wikipedia, the free encyclopedia 国名 楚在位期間 紀元前9世紀頃都城 丹陽(夷屯)発漸姓・諱 熊渠熊渠 楚 子国名 楚在位期間 紀元前9世紀頃都城 丹陽(夷屯)発漸姓・諱 熊渠父 熊鍚 熊 渠(ゆう きょ、生没年不詳)は、西周時代の楚の君主。姓は羋、氏は熊。諱は渠。 熊楊(熊鍚)の子として生まれた。ときは周の夷王の治世で、王室は衰微して、諸侯は朝勤せず、互いに攻伐しあっていた。熊渠は長江と漢水のあいだの民を融和させて、兵を興して庸や楊越を討ち、鄂にいたった[1]。清華大学蔵戦国竹簡『楚居』によると、熊渠は夷屯から発漸に都を遷した[2]。熊渠は「わたしは蛮夷である。中国の号謚をともにしない」といった。そこで長男の熊毋康(熊艾)を句亶王に立て、次男の熊摯紅を鄂王に立て、末子の熊執疵を越章王に立てた。周の厲王のとき、熊渠はその暴虐を恐れ、討伐されることを恐れて、王号を除いた。熊毋康が後を嗣いだ[1]。 脚注 [脚注の使い方] 1 2 『史記』楚世家 ↑ 浅野裕一『清華簡『楚居』初探』p.264 先代熊鍚 楚子紀元前9世紀頃 次代熊毋康 Related Articles