享徳2年(1453年)、熊谷宗直の子として生まれる。
熊谷氏の一族らしく武勇の人であったようで、明応8年(1499年)9月には温科国親が武田元信から離反した際にその討伐を行い、恩賞として温科氏の旧領を与えられている。
当時の熊谷氏は所領を一族で分割しており、必然的に惣領を中心とした惣領制にするために苦心を重ねていた。熊谷膳直は、自身の治世時に分家筋である新庄熊谷氏を滅ぼして、分割されていた熊谷氏の勢力を一本化させ、来たるべき戦国時代へ備えている。なお、この時に滅ぼした新庄熊谷氏の熊谷直房とその嫡子、熊谷直重は赦されて、名字を熊谷から桐原に変え、家臣として仕えた。
永正3年(1506年)に膳直の嫡男・元直が主君の武田元繁より所領を与えられているため、この頃には家督が元直に移行していたと考えられる。
永正12年(1515年)5月14日に伊勢ヶ坪城において死去。享年63。更に僅か2年後の永正14年(1517年)に嫡男の元直が戦死し、熊谷氏と主家の武田氏との関係も不穏になっていくのである。