熙嬪洪氏
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| 熙嬪洪氏 희빈 홍 씨 | |
|---|---|
| 称号 | 洪嬪(ホンビン、홍빈) |
| 出生 |
弘治7年4月14日 (1494年5月27日) |
| 死去 |
万暦9年11月6日 (1581年12月11日) |
| 配偶者 | 中宗 |
| 子女 |
錦城君 鳳城君 |
| 父親 | 洪景舟 |
| 母親 | 安東権氏 |
| 熙嬪洪氏 | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| ハングル: | 희빈 홍씨 |
| 漢字: | 熙嬪洪氏 |
| 発音: | ヒビンホンシ |
| 日本語読み: | きひんこうし |
熙嬪洪氏(きひん こうし、ヒビン ホンシ、희빈 홍씨、1494年5月27日 - 1581年12月11日)は、李氏朝鮮の第11代国王中宗の後宮。錦城君と鳳城君の生母。本貫は南陽洪氏。
洪景舟の次女として誕生。父の洪景舟は中宗反正に尽力した功臣の1人であった。1506年で揀択により、淑儀として入宮。昭儀、貴人を経て正一品の嬪に冊立された。中宗の寵愛を得て、父の政敵であった士林派排除に助力した。1528年の灼鼠の変では仁宗の暗殺未遂を疑われたが、敬嬪朴氏が賜死することになった。1545年には尹汝諧の謀反に次男の鳳城君共々、陰謀を疑われると洪氏は宮殿を追われた[1]。1547年、凰城君は王命で自刃して果てた[2]。