片山宗哲
From Wikipedia, the free encyclopedia
叔父で医師の片山宗僊の娘婿となり、医術を一鷗宗虎に学び名声を高める。
後に宗虎の推薦で慶長7年(1602年)徳川家康に仕え、家康が患った寒疾を一晩で治している。その後「法印」の称号を得る。
慶長16年(1611年)9月18日に家康の子である徳川義直が感冒を患った際は他の医師を払い除け家康が漢方薬の紫雪を服用させ、見事回復させた。この薬は宗哲が作ったものであり、家康は非常に喜んだという。
元和2年(1616年)3月に家康が病に倒れ、宗哲が介抱した[1]際、宗哲は診察の結果「胃癌」であると突き止めている[2]。
しかし家康が日常的に自身で調合した薬を服用しており、特に万病丹の服用のしすぎ[注釈 1]を宗哲が直言したため家康の怒り[注釈 2]に触れ、信州高島藩に流され、流刑となる[3]。家康はその直後の4月17日に病死する。
ただし、宗哲の知行は没収されておらず、徳川家中の者は宗哲の診断が正しいと認識していたとされる。