おおむね紀元前3630年から紀元前3050年ころの遺跡とみられる。農耕が以前より発達しており、農具には穂摘み具である石包丁が加わっている。階層分化がみてとれ、この地域特有の墓葬である積石塚が出現している。これは石を積み上げて盛り上げ、その地下に墓坑を掘って石棺が入れられているものである。副葬品には玉器をともない、「玉猪龍」の器が注目される。
また「女神廟」と呼ばれる祭祀用建造物が発見されている。長方形の半地下式の建物で、長さは22m、幅は2m - 9m、主室と側室がある。細長い土坑に動物や人物像が埋められており、竈などの生活施設がなく、女性と思われる顔の部分が出土したことから、「女神廟」と呼ばれている。円形の部屋からは猪龍や禽獣の爪をかたどった土器が発見されたほか、6体の人物像の残片が発見され、いずれも女性像であった。