牧野久仲
戦国時代の武将
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生涯
その後の牧野氏
牧野家は輝宗没後、伊達政宗の代になってようやく帰参が許され、久仲の孫・盛仲は文禄2年(1593年)に文禄の役の軍功により200石を与えられ、宿老の家格に復帰した。のちに盛仲は加美郡宮崎城主となって2,000石余に加増され、弟の友重に宮城郡竹谷(現:松島町竹谷)など468石余を分与して別家を興させている(竹谷牧野氏)。
牧野氏は盛仲の子・茂仲の代にさらに2,500石まで加増されたが、茂仲は慶安3年(1650年)に罪を得て改易され、宿老牧野家は再び御家断絶の憂き目に遭った。万治4年(1661年)4月、古内重安(茂仲の義弟)が、茂仲の子・重仲に自身の知行から500石を分与して牧野家を再興させたいと願い出て、平士の家格での牧野本家の再興が許された。
┏新田義綱 新田景綱━┫ ┗新田義直 ┏古内重安 桑折景長━━女子 ┃ 山口重如━┫ ┣━━━━女子 ┗女子 ┏中野親時 ┣━━━━牧野重仲 中野宗時━┫ ┏牧野盛仲━━牧野茂仲 ┗牧野久仲━━牧野為仲━┫ ┗牧野友重━━牧野友次
参考文献
- 『宮崎町史』(宮城県加美郡宮崎町、1973年)
- 『伊達世臣家譜』第二輯(仙台叢書刊行会、1937年)