牧野忠鎮
From Wikipedia, the free encyclopedia
第9代藩主・牧野忠精の長男として誕生。
資性謹厳、純幸友愛の人であったが、生来病弱であった。享和2年から3年(1802年 - 1803年)まで麻疹を患う。『御附録』の享和2年11月11日の記事によると、15歳になったので御目見する予定だったが、足痛で取りやめとなり、翌年2月12日から3月10日まで熱海に湯治へ行き、5月18日に「麻疹御湯祝之」とある。
文化2年(1805年)に松平定信の娘の婉姫(寿姫)と婚姻するが、その3年後に死去した。なお、死因についての記録は『御附録』には記載がない。
家督相続以前に父よりも早く死去し、かつ子がないため、代わって同母弟・忠雅が忠精嫡子となり、後に藩主の座を継いだ。また、忠鎮正室は壽姫と改名し、舅の忠精の養女として越後村上藩主・内藤信敦の継室となった[1]。