Wikiwand AI

牧野忠雅

From Wikipedia, the free encyclopedia

時代 江戸時代後期
別名 鉄蔵、銀蔵(通称
 
牧野忠雅
時代 江戸時代後期
生誕 寛政11年11月6日1799年12月2日
死没 安政5年10月25日1858年11月30日
別名 鉄蔵、銀蔵(通称
墓所 長岡市蒼柴神社内の牧野家悠久山墓地
官位 従四位下、玄蕃頭、備前守侍従
幕府 江戸幕府奏者番寺社奉行
京都所司代老中
越後長岡藩
氏族 牧野氏
父母 父:牧野忠精 母:青山忠高の娘
兄弟 忠鎮石川総親忠雅
康命、妹(太田資言室)、
妹(松平信順室)、
妹(西尾忠宝室、のち水野忠実室)、
妹(青山幸寛室)
逸姫大久保忠真の娘)
養子:忠恭
テンプレートを表示

牧野 忠雅(まきの ただまさ)は、越後長岡藩の第10代藩主。長岡藩系牧野家宗家11代。第9代藩主・牧野忠精の四男。老中となり海防掛担当。

『新板改正 安政武鑑 御大名衆 巻之二』(安政3年(1856年)刊)より越後長岡藩牧野忠雅の箇所

寛政11年(1799年)に江戸藩邸にて生まれた。四男であるが、忠精の息子で正室出生は長兄の忠鎮と忠雅、夭折した一女のみである。文化5年(1808年)、忠鎮が死去すると、庶出の兄・石川総親は既に下館藩主石川家を相続し、同じく庶出の兄の銀三郎も既に死去していたため、嗣子となる。

文政4年(1821年)に大久保忠真の娘である逸姫を正室に迎え、天保2年(1831年)に忠精が隠居すると家督を相続する。奏者番寺社奉行京都所司代を経て、老中となり海防掛担当となる。閣内の席次は阿部正弘に次ぎ、終始阿部に歩調を合わせていたが、阿部死去後、堀田正睦が名実ともに実権を握ると、老中を辞任した。翌年に死去し、家督は養子の忠恭が継いだ。

幕職年譜

人物

1982年の済海寺での牧野家改葬にともなう緊急遺骨調査によると、推定身長は155.4cmと当時としては比較的低身長であるが、太さは歴代藩主中で最大もしくは大きい部類に入るとしている。なお、父の忠精や兄の忠鎮は150cm代であったが、体格は華奢である。加えて、正室の逸姫の推定身長は150.3cmで、牧野家正室の中でも太い部類に属する。

主要家臣

以下は『改訂増補 大武鑑 中巻』(名著刊行会)を参考としたもの。各役職は越後長岡藩#職制を参照。なお刊行の都合により刊行年以前の内容の可能性がある。

【安政元年(参考文献では嘉永7年)刊行の武鑑】

職名無しで武鑑に記載
中老格奉行
  • 九里孫左衛門
  • 倉沢忠左衛門(定府)
奉行
  • 杉田弥次兵衛
  • 池田小左衛門
  • 柿本庄右衛門
  • 深澤右膳
  • 稲垣林四郎
  • 名児那定之丞
用人
  • 能勢三郎右衛門
  • 小島助右衛門
  • 深澤三郎兵衛(定府)
  • 菅沼助八郎(定府、公用人兼務)
  • 渡辺左近右衛門(定府、附兼務)
  • 斎田轍(定府、公用人兼務)
  • 伴権六(定府、公用人兼務)
  • 倉沢仁輔(定府、公用人兼務)
取次頭取
  • 仙田弥市郎
  • 高野七左衛門
  • 小林儀右衛門

系譜

登場作品

参考文献

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks