物部烏 From Wikipedia, the free encyclopedia ハングル: 물부오発音: {{{nihonngo-yomi}}}日本語読み: もののべ の かく物部烏各種表記ハングル: 물부오発音: {{{nihonngo-yomi}}}日本語読み: もののべ の かくテンプレートを表示 物部烏(もののべ の かく)は、欽明朝前半期の物部連の百済の官僚。日本人であるが、百済王権に仕えた倭系百済官僚[1]。官位は奈率[2]。 物部烏は、欽明天皇十五年に上部奈率として倭国に軍事援助を要請している[2]。 物部麻奇牟、物部哥非、物部用歌多と共に、物部伊勢父根の係累とする説がある[3]。 『勿部将軍功徳記』に登場する百済の勿部珣を「物部珣」とし、物部氏の末裔とする説が有力である[4][5][6]。 脚注 ↑ 李在碩 (I, Jesoku)「六世紀代の倭系百済官僚とその本質」『駒澤史学』第62巻、駒澤史学会、2004年3月、38頁、CRID 1050564288184403072、ISSN 04506928。 1 2 河内春人 2017, p. 112. ↑ 河内春人 2017, p. 113. ↑ “순장군공덕기(珣將軍功德記)”. 聯合ニュース. (2006年11月17日). オリジナルの2022年2月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220209061550/https://www.yna.co.kr/view/PYH20061117010700999 ↑ “순장군 공덕기 (珣將軍 功德記)”. 国史編纂委員会. オリジナルの2022年10月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20221019134040/https://db.history.go.kr/item/level.do?setId=1&totalCount=1&itemId=gskh&synonym=off&chinessChar=on&page=1&pre_page=1&brokerPagingInfo=&types=&searchSubjectClass=&position=0&levelId=gskh_008_0020_0010_0030 ↑ 李成市「天龍山勿部珣功徳記にみる東アジアにおける人の移動」『仏教文明と世俗秩序』(勉誠出版、2015年) 参考文献 河内春人「古代東アジアにおける政治的流動性と人流」『専修大学社会知性開発研究センター古代東ユーラシア研究センター年報』第3巻、専修大学社会知性開発研究センター、2017年3月、103-121頁、CRID 1390572174779544704、doi:10.34360/00008258。 Related Articles