猿丸君彰功碑
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座標
北緯34度43分30.2秒 東経135度18分16.8秒 / 北緯34.725056度 東経135.304667度座標: 北緯34度43分30.2秒 東経135度18分16.8秒 / 北緯34.725056度 東経135.304667度
種類
石碑
素材
石造
| 猿丸君彰功碑 | |
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猿丸君彰功碑 | |
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| 座標 | 北緯34度43分30.2秒 東経135度18分16.8秒 / 北緯34.725056度 東経135.304667度座標: 北緯34度43分30.2秒 東経135度18分16.8秒 / 北緯34.725056度 東経135.304667度 |
| 所在地 | 兵庫県芦屋市浜芦屋町 |
| 種類 | 石碑 |
| 素材 | 石造 |
| 完成 | 1930年 |
芦屋川左岸沿い、芦屋公園内に位置する。芦屋市の前身である精道村の村長を務め、地域振興に功績のあった猿丸又左衛門安明(1872年 - 1920年)を顕彰する石碑であり、その没後10年を期して1930年(昭和5年)に建立された[1]。題額は、当時立憲政友会総裁であった犬養毅の揮毫による[1][2]。
碑面にはその生い立ちや経歴を記した文が刻まれており、省線芦屋駅の創設(現在のJR芦屋駅。1913年に請願駅として設置)、芦屋川の改修、耕地整理といった公共事業で中心的な役割を担ったことが功績として挙げられている。
芦屋の猿丸家は猿丸大夫の末裔を称する旧家で、安土桃山時代に「猿丸又左衛門」「猿丸吉左衛門」の2家に分かれた[3]。又左衛門家からは、江戸時代後期に奥池を築造した猿丸又左衛門安時(1804年 - 1880年)が出ている[4][注釈 1]。石碑建立時の精道村長・猿丸吉左衛門(1853年 - 1932年)は吉左衛門家の当主[6][注釈 2]。
