猿渡信光 From Wikipedia, the free encyclopedia 猿渡 信光(さるわたり のぶみつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。島津氏の家臣。官位は掃部兵衛、後に越中守。 時代 戦国時代 - 安土桃山時代生誕 天文3年(1534年)死没 天正15年4月17日(1587年5月24日)官位 掃部兵衛→越中守概要 凡例猿渡信光, 時代 ... 凡例猿渡信光時代 戦国時代 - 安土桃山時代生誕 天文3年(1534年)死没 天正15年4月17日(1587年5月24日)官位 掃部兵衛→越中守主君 島津氏氏族 猿渡氏父母 父:猿渡信資子 信豊、与三テンプレートを表示閉じる 生涯 猿渡氏は平高望の後裔。天文3年(1534年)、猿渡信資の子として誕生。 島津氏に仕え、支配領である加世田や羽月の地頭職を歴任した。武勇に優れ、肥後国侵攻や天正12年(1584年)の沖田畷の戦いなどで活躍。特に沖田畷の戦いでは、1千人の兵を率いたとされ、島津・有馬連合軍の総兵が6千~8千というので、部隊長としてかなりの軍権を有したと推測される。また、この合戦で嫡子の彌次郎[1]が戦死している。 天正15年(1587年)、豊臣秀吉による九州平定の際の根白坂の戦いで戦死した。 脚注 [1]『北肥戦誌』の記述。『本藩人物誌』には信豊が嫡子、与三は次男と記され、信豊は文禄・慶長の役で死去、与三はその養子になったとあるが、この彌次郎に関しては記述が一切ない。 Related Articles