猿谷吉太郎
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1889年(明治22年)群馬県[1]碓氷郡松井田町五料[2](現・安中市松井田町五料)に生まれる。旧制安中中学校(現・群馬県立安中総合学園高等学校)[2]、陸軍幼年学校を経て[2]、陸軍士官学校第22期卒業[1]。1935年(昭和10年)12月に陸軍造兵廠火工廠板橋火薬製造所長に就任し[3]、1937年(昭和12年)3月1日に陸軍砲兵大佐進級と同時に陸軍造兵廠名古屋工廠熱田製造所長に着任した[3][4]。同年10月25日に兼陸軍造兵廠名古屋工廠高蔵製造所長となり[3]、1939年(昭和14年)9月に陸軍造兵廠名古屋工廠立川兵器製造部長に転じた[3]。
1940年(昭和15年)4月1日に陸軍航空工廠長に就任し[3]、8月1日に陸軍少将に進級した[3]。1945年(昭和20年)2月12日に陸軍航空本部附となり[5]、3月1日に陸軍中将に進級[3]。軍需省第一軍需工廠発動機部長を務めた[2]。
1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[6]。東京パーカライジング常務取締役、パーカ加工株式会社社長などを務めた[2]。