獄門党
日本の女子プロレスヒールユニット
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経歴

1988年、ダンプ松本引退後、ブル中野が中心となり結成された。
建前ではヒール軍団ということになっているものの、ただ単に凶器を振り回すだけではなく確かな実力に裏打ちされた闘いを魅せるプロレススタイルで観客を沸かせた。当時の全女の方針は「悪役は憎まれるだけでいい」だったが、ブルは「極悪同盟とクラッシュ・ギャルズの抗争だけでは未来がないと感じていた」「可愛いベビーフェイスがいて、それをいじめる悪役との抗争しかできない女子プロレスは、これから生き残れないんじゃないか。そう思ったのが17歳くらいですかね。それからは、悪役だけどレスラーとして認められるための闘いに変えていきました。」と語っている[1]。
1990年代初頭に黎明期のメンバー、アジャ・コングらが離脱しジャングル・ジャックを結成したことをきっかけにブルとアジャの壮絶な抗争が巻き起こり、ヒール対ヒールという対立構造を生んだ。
1995年9月2日に日本武道館で行われたブル中野と井上京子のシングル試合で京子が勝利し、試合後にブルは『負けて悔いなし』と弟子の成長を見届け獄門党の解散を宣言するものの、ライオネス飛鳥がリングに乱入したことで流れた。
その後ブル中野がプロレス界から姿を消したことで井上京子、渡辺智子が残ったが京子がWWWA世界シングル王座を獲得したあと1997年には決別し[2]、事実上、自然消滅している。