玄要寺
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| 玄要寺 | |
|---|---|
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玄要寺にある京極高朗墓所 | |
| 所在地 | 香川県丸亀市南条町34−4 |
| 位置 | 北緯34度17分17.0秒 東経133度47分33.9秒 / 北緯34.288056度 東経133.792750度座標: 北緯34度17分17.0秒 東経133度47分33.9秒 / 北緯34.288056度 東経133.792750度 |
| 山号 | 泰雲山 |
| 宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
| 本尊 | 釈迦牟尼仏 |
| 創建年 | 寛永年間 |
| 開基 | 京極氏 |
| 正式名 | 泰雲山 玄要寺 |
| 文化財 | 京極高朗墓所(丸亀市指定史跡) |
| 法人番号 | 5470005002584 |
玄要寺(げんようじ)は、香川県丸亀市南条町にある寺院。臨済宗妙心寺派に属する。山号は泰雲山。本尊は釈迦牟尼仏。
近江国を出身とする龍野藩主京極家の菩提寺として現在の兵庫県たつの市に創建され、万治元年(1658年)に丸亀藩に転封された際に移転されたものである。寺内の墓所には、丸亀藩第6代藩主・京極高朗と、支藩である多度津藩京極家の墓や、丸亀藩士、多度津藩士、若江薫子の墓がある。
丸亀藩主であった京極氏の菩提寺である。
鎌倉時代に佐々木氏(後の京極氏)の菩提寺として伊吹山麓(現在の滋賀県米原市清滝)に建立された清瀧寺(現在の徳源院)が知られている。同寺は京極高次が大津城主になると再興が図られているが、一方で関ヶ原の戦いの戦功によって小浜藩、次いで松江藩に移封される中で、遠く近江の清瀧寺まで墓参に出向くことが困難になったため、移封先に新しい菩提寺を建立されることになった。京極高次の菩提寺である泰雲寺やその妻・常高院(初)の菩提寺である常高寺はその代表的寺院である[1]。
ところが寛永14年(1637年)に京極忠高が急死した際に甥の京極高和を末期養子に立てようとして江戸幕府に許されず、最終的に高和の相続は認められたものの松江藩から4分の1の石高である龍野藩に移されてしまう。小大名に転落した京極家には各地の菩提寺を維持する力は無く、京極高和は墓所は清瀧寺に集約し、菩提寺は養父・忠高のものだけを維持することになった。徳川将軍家の親戚ということで別途幕府の保護のあった常高寺は存続できたものの、小浜から松江に移転していた泰雲寺は安国寺(戦国時代初期の出雲守護で家督争いに敗れたために現地で葬られた京極政経の墓所があった)に事実上統合されている。玄要寺は龍野への減転封を受けて創建された新しい京極家の菩提寺ということになり、寺名が京極忠高の法号「玄要院殿」に由来し、泰雲山の山号が京極高次の法号「泰雲院殿」に由来するのは、菩提寺を巡る複雑な事情を物語っている[2]。
万治元年(1658年)、京極高和が丸亀に転封されると、玄要寺を丸亀城の北西側に移転した。明治以降は寺領は縮小され、本堂の位置が変わっている[3]。

