三浦梅園
日本の政治学者
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人物
遠祖は相模国三浦の人で鎌倉幕府に仕えたが[1]、わけあって豊後国国東に移り住んだとされる[1]。祖父の代から医術を家業とした[1]。16歳のころ、綾部絅斎と藤田敬所に師事する[1]。23歳で長崎・太宰府方面を遊学し[1]、28歳で伊勢神宮に参拝し、晩年長崎を再び旅する[1]。それ以外は郷里の国東で過ごし、再三にわたる諸侯の招聘も断り続けた[1]。
特定の学派に属さず、独自の学問大系である条理学を築き『玄語』『贅語』『敢語』を著した[1]。これらは、梅園自身によって「梅園三語」と命名された[1]。この三著作が梅園の思想の骨格をなすのである。このうち『贅語』と『敢語』は完成したが、『玄語』は37年の歳月を費やして、ついに完成できなかった。[要出典]
「梅園三語」以外の著書には、詩学概論『詩轍(してつ)』、経世論『価原』、医学書『身生餘譚』『造物餘譚』などがある。『価原』は社会経済史からも注目される文献である[1]。
また、読書日記『浦子手記』には、道家の系譜の哲学概論『淮南子』、西洋天文学説『天経或問』をはじめ、『荘子』『列子』、宋学、朱子学、仏教書などの数多くの書名も記されており、三浦梅園の思考はこれら漢籍の教養の上に成立していた。また、中国の陶弘景や韓康伯の人となりを慕っていたという。[要出典]
没後
校訂本
- 「三浦梅園書簡集」小野精一編 第一書房 1943
- 『三浦梅園集』三枝博音編 岩波文庫 1953、復刊1991ほか
- 「多賀墨郷君にこたふる書」『日本哲学思想全書 第2巻 (思想 思索篇)』三枝博音・清水幾太郎編 平凡社 1955
- 「道徳」『日本哲学思想全書 第19巻 (歴史・社会 歴史論篇・社会篇)』平凡社 1956
- 「戯示学徒」『日本哲学思想全書 第7巻 (科学 学問篇)』平凡社 1956
- 「玄語」『日本哲学思想全書 第1巻 (思想 哲学篇)』平凡社 1957
- 「敢語」『日本哲学思想全書 第14巻 (道徳 儒教篇・道徳論一般篇)』平凡社 1957
- 「価原」『日本哲学思想全書 第18巻』平凡社 1957
- 『医学古典集 第3 造物余譚』日本医史学会編 医歯薬出版 1958
- 『梅園全集』梅園会編 名著刊行会 1970
- 「玄語本宗」『日本の思想 18 三浦梅園ほか』中村幸彦編 筑摩書房 1971
- 「梅園拾葉」『日本随筆大成 5』第2期、吉川弘文館 1974
- 『玄語図全影 三浦梅園手蹟依據』辛島詢士編 梅園研究所 1975
- 『三浦梅園 日本教育思想大系』日本図書センター 1979
- 『日本思想大系 41 三浦梅園』島田虔次・田口正治校注 岩波書店 1982。「玄語」ほか
- 『日本の名著 20 三浦梅園』山田慶児責任編集[9] 中央公論社 1982、新版・中公バックス 1984
- 玄語(抄) ほか現代語訳。訳者は他に吉田忠(東北大学教員)