北側山麓の二の曲輪(二の丸)のあった地点は削平され、福島県立川口高等学校が建設されたため、遺構が残っていないが、川口高校裏手から始まる急斜面には複数の段切りされた平場があり、急斜面を登りきった後の山頂に続く尾根筋には小規模な曲輪が複数構築されている[2]。本曲輪(本丸)は烏山山頂に築かれた平坦面で、地誌『会津鑑』には東西約51メートル(28間)× 南北89メートル(49間)とあるが、実際にはその半分程度の規模だという[2]。なお、本曲輪の南500メートルの、本曲輪と同じ尾根筋には、同じく川口俊甫により築かれた西谷雀ヶ城がある[2]。