西洋の冠
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用語
クラウン(英語: crown)は、帝王・君主が着用する冠をいう[1]。日本語では、国王・女王の冠を王冠、皇帝・女帝の冠を帝冠と呼び分けることがある。
ダイアデム(英語: diadem)は、本来、頭部を取り巻く帯状の標章である。古代ギリシア語の διάδημα に由来し、ヘレニズム諸王国では王の地位を示す主要な標章となった[2]。
サークレット(英語: circlet)は、冠の基部をなす輪状部分、またはアーチを備えない輪状の冠を指す。サークレットの上に、十字架、葉形、花形、尖頭などの装飾を加えたものもある。
コロネット(英語: coronet)は、英語では一般に、君主の王冠より下位に位置づけられる王族や貴族の階級冠を指す[3]。
英語名に imperial を含む冠が、必ずしも皇帝の冠であるとは限らない。例えば、大英帝国王冠(英語: Imperial State Crown)は、皇帝ではなくイギリス君主が使用する王冠である。imperial state crown という名称は15世紀にさかのぼり、アーチによって上部を閉じた冠は、イングランドが他の地上の権力に従属しないことを示すものとされた[4]。
歴史
古代地中海世界

古代ギリシア・ローマでは、冠は王権の標章だけでなく、宗教儀礼、競技、軍事的功績などを示すためにも用いられた。古代ローマの市民冠(ラテン語: corona civica)は、戦場でローマ市民の生命を救い、その場所を保持した者に授与された。城壁冠(ラテン語: corona muralis)は、共和政期には敵の城壁へ最初に登った兵士に授与されたが、帝政期には、市民冠を除く褒賞冠が受領者の階級に応じて授与される制度へ移行した[5]。
アレクサンドロス3世の後継者たちが王号を称するようになった紀元前4世紀末以降、白い布の帯を頭部に巻くダイアデムが、ヘレニズム世界における王権の主要な標章となった。君主の肖像では、ダイアデムが王としての地位を識別する重要な要素となった[2]。
ローマ帝国の皇帝表象では、月桂冠、放射冠、ダイアデムなどが用いられた。放射冠は太陽神と結びついた図像であり、太陽神や皇帝の肖像に表現された。また、ローマ貨幣では、放射冠を着けた皇帝肖像が貨幣の種類を示すためにも用いられた[6]。
4世紀には、宝石や真珠で装飾されたダイアデムがローマ皇帝の標章として定着した。とりわけコンスタンティヌス1世以降、ダイアデムは紫衣などとともに皇帝の地位を視覚的に示す主要な要素となった[7]。
中世ヨーロッパ
中世ヨーロッパでは、冠は戴冠式や即位儀礼に用いられる主要なレガリアとなった。神聖ローマ帝国の帝冠のように、十字架、聖書上の人物像、宝石、真珠などを配した例が知られている[8]。
東ローマ帝国では、古代ローマのダイアデムを継承しつつ、十字架や宝石を備えた冠が皇帝表象に用いられた。11世紀の女帝テオドラを表した分銅には、十字架と側面から垂れる飾りを備えた冠を着け、十字架を載せた宝珠を持つ姿が表現されている[9]。
神聖ローマ帝国の帝冠は、蝶番でつながれた8枚の金製板によって八角形の冠身を構成している。4枚の板には旧約聖書の人物像が七宝で表され、残る4枚には宝石と真珠が配されている。十字架は11世紀初頭、アーチはその後に加えられた[8]。
帝冠を含む帝国宝器は、1424年からニュルンベルクに保管された。1796年、フランス軍の接近を受けてレーゲンスブルクへ避難させられ、その後ウィーンへ運ばれ、1800年から同地に保管されている[10]。
ロンバルディアの鉄王冠は、宝石と七宝で装飾された6枚の金製板から構成される。製作年代、当初の用途、現在の形に至る過程には不明な点が残されている。冠の内側の輪は、伝承ではイエス・キリストの磔刑に用いられた聖釘から作られたとされたが、科学的調査では銀製であることが確認された。ただし、聖釘との接触による聖遺物であった可能性は否定されていない[11]。
聖イシュトヴァーンの王冠は、ハンガリー王の戴冠に用いられてきた王冠である。下部の環状部分には11世紀の東ローマ系七宝装飾が含まれ、上部の交差する帯状部分などと組み合わされて、現在の形になったと考えられている。その由来や構成要素には、時代ごとに異なる政治的・文化的意味が与えられてきた[12]。
ハンガリーでは、王冠を国王個人から区別し、王国、領土、政治共同体と結びつける観念が中世末以降に展開した。ヴェルベーツィ・イシュトヴァーンの『三部法典』(ラテン語: Tripartitum、1517年刊)は、後世のハンガリー公法思想に大きな影響を与えた。王冠をめぐるこれらの伝統は、後世に「聖冠論」として繰り返し再解釈された[13]。
イングランドでは、中世末にアーチによって上部を閉じた王冠の意匠が採用された。15世紀には、この形式の王冠が、イングランドが他の地上の権力に従属しないことを示すものとされ、imperial state crown という名称が用いられるようになった[4]。
近世以降
1602年、皇帝ルドルフ2世のために個人用の冠が制作された。この冠は、ニュルンベルクに保管されていた神聖ローマ帝国の帝国宝器に代わり、皇帝がその地位を表す必要のある宮廷儀礼で用いられた。1804年にオーストリア帝国が成立すると、同帝国の帝冠となった[14]。
イングランドでは、1649年のチャールズ1世処刑後、共和政政府によって中世以来の戴冠宝器の大部分が売却または鋳潰された。1660年の王政復古後、翌1661年のチャールズ2世の戴冠式に向けて新しい戴冠宝器が制作された[15]。
1661年に制作された聖エドワード王冠は、四つの十字形、四つのフルール・ド・リス、交差する二本のアーチを備えている。イギリス君主の戴冠式では、君主を戴冠する瞬間に使用される[16]。
フランスでは、1722年のルイ15世の戴冠式のために、金製の冠と銀鍍金製の冠が制作された。このうち銀鍍金製の冠が現存している。戴冠式後には宝石と真珠が模造品に取り替えられ、1729年にサン=ドニの宝物庫へ納められた。1793年には革命政府によって国民公会へ運ばれ、その後、国立図書館などを経て、1852年にルーヴル美術館へ移された[17]。
現在の大英帝国王冠は、1937年にジョージ6世の戴冠式のために制作された。その意匠は、1838年にヴィクトリア女王のためにランデル・ブリッジ・アンド・ランデルが設計した王冠を踏襲している[4]。戴冠式では、戴冠の瞬間に用いられる聖エドワード王冠から大英帝国王冠へ交換され、君主がウェストミンスター寺院を退出する際に着用される。また、議会開会式などの国家儀礼にも使用されてきた[18]。
このように、イギリスでは、戴冠の瞬間に用いる冠と、戴冠式の後半および国家儀礼に用いる冠とが使い分けられている。冠の用途と分類は、各国の君主制の歴史や儀礼制度に応じて異なる。
形態

神聖ローマ帝国の帝冠では、蝶番でつながれた金製板によって冠身が構成され、その上に十字架とアーチが置かれている[8]。イギリスの聖エドワード王冠では、冠身の上に十字形とフルール・ド・リスを交互に配し、二本のアーチを交差させている[16]。
アーチの数や形は冠によって異なる。神聖ローマ帝国の帝冠では、前後を結ぶ一本のアーチが置かれている[8]。聖エドワード王冠では、二本のアーチが交差している[16]。
アーチを備えた冠では、頂部に球体と十字架を置くことがある。この意匠は宝珠と共通し、キリスト教世界に対する君主の統治権を表す[18]。
聖エドワード王冠と大英帝国王冠には、ベルベット製の帽子部とオコジョの毛皮が取り付けられている[16][18]。冠身には金や銀などが用いられ、宝石、真珠、七宝などで装飾される。
コロネット
コロネットは、英語において、君主の王冠より下位の王族や貴族などが用いる階級冠を指す。特にイギリスでは、君主との続柄や爵位に応じてコロネットの形式が区別されてきた[3]。
イギリスの貴族のコロネットでは、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の各爵位に応じて、葉形や球形の装飾の数と配置が異なる。歴史的には、君主が戴冠された際に、儀式へ参列した貴族が一斉にコロネットを着用した[3]。
コロネットは実物の装身具としてだけでなく、紋章上の階級標識としても用いられる。イギリスの紋章では、盾の上方に、爵位や王族としての地位に応じたコロネットが置かれる。
- 侯爵のコロネット
- イギリス伯爵のコロネット
- 男爵のコロネット
