王桂林
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王 桂林(おう けいりん)は、中華圏の人名。中華民国において、同姓同名の2名の著名軍人が存在する。
| 王桂林 | |
|---|---|
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『満洲紳士録 第三版』(1940年) | |
| プロフィール | |
| 出生: | 生年不明[注 1] |
| 死去: | 没年不明(1943年3月27日時点では存命) |
| 出身地: |
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| 職業: | 軍人・官僚 |
| 各種表記 | |
| 繁体字: | 王桂林 |
| 簡体字: | 王桂林 |
| 拼音: | Wáng Guìlín |
| ラテン字: | Wang Kui-lin |
| 和名表記: | おう けいりん |
| 発音転記: | ワン・クイリン(ワン・グイリン) |
王 桂林(おう けいりん、生没年不詳)は、清末民初の軍人・官僚。字は清泉[2]。北京政府では陸軍中将。中華民国臨時政府や南京国民政府(汪兆銘政権)華北政務委員会にも参加した。
北京政府時代の活動
保定法政学堂、北洋警務学堂、江蘇陸軍教育団をそれぞれ卒業している[1][2]。1913年(民国2年)8月、天津警察庁署長として任用され、翌月には江蘇省城警察庁庁長(後に江蘇全省警務処処長)として抜擢された。翌1914年(民国3年)、陸軍少将の位を授与されている。
江蘇全省警務処処長には1920年(民国9年)2月時点でも在任していることから[3]、時期的には江蘇督軍・李純麾下であり、斉燮元とも同僚であった。これ以外にも、南京市政籌備処長や江蘇省戒厳副司令、江蘇省防疫局長、江蘇省防司令、直魯皖三省鉱政監督などをつとめたとされる[1][2]。
1920年(民国9年)6月に陸軍中将位を、更に1924年(民国13年)1月には将軍府将軍位を、それぞれ授与された[3]。
親日政権での活動

王克敏が創立した中華民国臨時政府に、王桂林も参加した。ただし臨時政府創設当初においては、王桂林の任用は見受けられない。臨時政府創設から1年弱が経過した1938年(民国27年)11月17日、治安部(総長:斉燮元)に新設されていた警政局において、王桂林は局長として抜擢された[4][5]。
1940年(民国29年)3月30日、臨時政府が南京国民政府(汪兆銘政権)に合流し、華北政務委員会に改組される。臨時政府治安部は華北政務委員会治安総署に改組されたが、5月4日、王桂林は同総署警政局局長に重任した[6][注 3]。また、公報上は確認できないが、陸軍中将位を授与されたとされる[1]。
1943年(民国32年)2月、華北政務委員会委員長が王揖唐から朱深に交替した際に大規模な人事異動があった。また、この際に警政局は治安総署から内務総署へ移管されている。3月11日の人事発令時点では、王桂林は内務総署警政局局長に重任(留任)していたが[7]、3月27日に局長を免ぜられた[8](後任は劉鳳池)。当該委員会令によれば、この免職は別途任用を予定としていた。しかし、その後の王桂林の処遇は公報上から確認できず、動向不詳となる。