琉球臨時中央政府
1951年から1952年まで存在した沖縄の統治機構
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歴史
第二次世界大戦後のアメリカ合衆国による沖縄統治では、1950年9月1日施行の軍政府布令22号「群島政府組織法」で4つの群島と呼ばれる公法人が設置され、同年12月5日に米極東軍総司令部は「琉球列島米国民政府に関する指令」(琉球軍司令官宛書簡、FEC指令)で市町村単位、群島単位、中央政府の各レベルの行政機構を樹立するとした[4]。
当初は全琉球の中央政府と群島政府を組み合わせた連邦制を指向していたとされる[5]。ただ、沖縄群島政府が作成した『沖縄群島当時の書類綴 1951年』では米国民政府布告第3号「臨時中央政府の設立」と軍政府布令第22号「群島政府機構に関する法」との区分の不明確さについて言及しており、ほぼ同時期に並行して存在した群島政府との間で行政上の齟齬もみられた[3]。
琉球列島米国民政府(USCAR)は、1951年4月1日の布告3号「臨時中央政府の設立」(Establishment of Provisional Central Government)で琉球臨時中央政府を設置し、群島政府の機能を吸収していくこととした[4]。最終的には極東軍司令部も1951年8月27日に群島政府の廃止を決定し、群島別統治政策から中央集権的政府の設立へ方針転換した[4]。
1年後の1952年4月、琉球政府の発足により、琉球臨時中央政府は発展的に解消した[6]。
機構
琉球臨時中央政府の機構は立法、司法、行政の三権に分かれ、その首脳は米民政副長官による任命制だった[5]。行政主席には臨時琉球諮詢委員会委員長だった比嘉秀平、行政副主席には同委員会奄美群島代表の泉有平が任命された[5]。立法院参議には同委員会の委員9人が任命された[5]。また琉球上訴裁判所首席判事に当間重剛が任命された[5]。以上のように琉球臨時中央政府は臨時琉球諮詢委員会を母体としていた[5]。
「行政主席」「立法院」の名称は、「臨時中央政府の設立(米国民政府布告第3号)」に記された「Chief Executive」「Legislature」のそれぞれの訳語として、この時に定められた。
行政
行政権は行政主席に属するとされた。
行政府は局制が採られ、以下の14局が設けられた。
- 行政主席事務局(後に行政主席官房に改称)
- 行政主席情報局
- 行政主席統計局
- 総務局
- 財政局
- 法務局
- 資源局
- 商工局
- 工務局
- 運輸局
- 郵政局
- 厚生局
- 文教局
- 警察局
立法
立法権は立法院に属し、9人の立法院参議によって構成された。
立法院議長は、アメリカ上院に倣って行政副主席が兼任した。
参議一覧
- 叶義盛(奄美群島)
- 田畑正剛(奄美群島)
- 冨名腰尚武(沖縄群島)
- 城間盛善(沖縄群島)
- 嘉陽安春(沖縄群島)
- 松田賀哲(沖縄群島)
- 吉元榮光(沖縄群島)
- 嵩原重夫(宮古群島)
- 大濱國浩(八重山群島)
司法
司法権は琉球民裁判所(琉球上訴裁判所、巡回裁判所、治安裁判所)に属した。
巡回裁判所、治安裁判所の判事は群島知事が任命した。