甘露の変 (曹魏)

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甘露の変(甘露事変/司馬昭弒君)
戦争:甘露の変
年月日甘露五年5月7日[1]260年6月2日
場所 司隸河南尹洛陽県
結果:司馬昭軍の勝利。成済が皇帝曹髦を弑逆。司馬昭は曹奐(元帝)を践祚させた。
交戦勢力
禁軍 司馬昭
指導者・指揮官
曹髦 
王経 処刑
李昭 
焦伯 [2]
司馬昭
司馬伷
賈充
成済 処刑
成倅 処刑
王沈
王業
戦力
約300人 不詳
損害
不詳 不詳


甘露の変(かんろのへん)とは、中国三国時代において、皇帝曹髦と権臣司馬昭との間で発生した権力闘争の政変であり、最終的には司馬昭が曹髦を殺害することによって終息した。

西晋やその遺臣からは「高貴郷公の難(こうききょうこうのなん)」と呼ばれた[3]

正始10年(249年)の高平陵の変の後、魏の大権は、司馬懿とその子の司馬師・司馬昭の手に帰した。甘露3年(258年)から甘露5年(260年)までの間、皇帝曹髦は、二度にわたって詔書を発し、大将軍司馬昭を相国に任じ、晋公に封じ、九錫を加えた。司馬昭は、一度目の詔書を接到しなかったが、二度目の詔書については直ちに態度を明らかにしなかった[4]。九錫は、権臣が帝位を簒奪することを意味していたため、曹髦は、司馬昭に対して極めて強い不満を抱いていた。ここにおいて、曹髦は、司馬昭に対する反撃の機会を窺うことを決定したのであった。

経過

影響

脚注

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