生活改善運動

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生活改善運動(せいかつかいぜんうんどう)とは、主に1920年代から1950年代にかけて、日本政府や関係機関、地域自治体や各家庭、さらには諸団体が、国民生活の改善向上を目指して推進した諸施策の総体である。行政の働きかけに対して住民が自主的に応答する形で、あるいは独自の主体的な選択として、社会教育、家政教育、民俗など複数の領域にわたり、生活の質の向上を目指した様々な取り組みが推進された[1]。運動の趣旨は第二次世界大戦の前後で微妙に異なる[2]

1919年文部省に普通学務局第四課が置かれ、生活の合理化を目指す啓蒙活動が社会教育行政の主要事業として位置づけられた[3]。また同年、代用食の奨励、勤労、節約に関する三訓令が文部省により発令され、生活の無駄を省き、生活を合理化・改善する必要性が示された[4]第一次世界大戦後の好況のもとで顕在化した奢侈的風潮を批判し、堅実な生活の実践を促すとともに、日本の国際的地位の向上を背景に、文化的水準の高いよりよい国民生活の確立を志向するねらいがあった[5]1920年乗杉嘉壽棚橋源太郎らの主導のもと、文部省の外郭団体として生活改善同盟会が設立(1933年に生活改善中央会に改組、1943年に解散)し[6]、各地に支部、分会を設置しながら展覧会、講演会、座談会などの活動を展開した[7][8]。生活改善同盟会の代表的な刊行物「生活改善の栞」は、「社交儀礼の改善」「服装の改善」「食事の改善」「旅館其他の改善」「一般生活振りの改善」などについて解説し、結婚や葬列、宴会や贈答、講習作法、外国人の接遇や太陽暦の使用などについて手引を示した[9]。主体としての家庭の主婦の役割が強調された[10]1931年には「農村生活改善指針」が交付された[9]

こうした戦前の生活改善運動は、それまで不問にされがちであった生活に国民の関心を向けさせ、生活全般にわたる具体的な提言を与えることによって、曲りなりにも合理的・科学的思考を持ち込み、新しい生活像をつくる役割の一端を担ったと評価されている[11]。主に都市中間層に浸透した[1][7][10]。同時期に開始した民力涵養運動は、内務省主導で第一次世界大戦後の国民生活や思想を誘導していくことを目的とし、文部省の生活改善運動と時を重ねて進められた[7]

戦後の生活改善運動

脚注

関連項目

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