生駒親忠
日本の明治時代前期~昭和時代前期の男爵・政治家
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経歴
元岡山藩主・池田慶政の長男として生まれる[1][4][5]。1886年(明治19年)3月、先代生駒親承の死跡を継承し[1][3][4][5]、同月19日、男爵を襲爵[6]、同月26日、親忠と改名した[7]。1916年(大正5年)2月26日に隠居し[8]、同年3月23日に分家した[1]。
学習院を経て、日本法律学校(現・日本大学)を修了[2][9]。育英事業に関わり、日本大学評議員を務めた[3]。
1897年(明治30年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[10][11]、1904年(明治37年)7月9日まで1期在任し[2]、さらに、1911年(明治44年)7月10日、貴族院男爵議員に再選され[12][13]、1916年(大正5年)2月27日に辞職[8]するまで通算2期在任した[2]。