産田神社
From Wikipedia, the free encyclopedia
位置
北緯33度52分50.5秒 東経136度4分42.1秒 / 北緯33.880694度 東経136.078361度座標: 北緯33度52分50.5秒 東経136度4分42.1秒 / 北緯33.880694度 東経136.078361度
社格等
郷社
| 産田神社 | |
|---|---|
|
| |
| 所在地 | 三重県熊野市有馬町1814 |
| 位置 | 北緯33度52分50.5秒 東経136度4分42.1秒 / 北緯33.880694度 東経136.078361度座標: 北緯33度52分50.5秒 東経136度4分42.1秒 / 北緯33.880694度 東経136.078361度 |
| 主祭神 | 伊弉冊尊、軻遇突智尊 |
| 社格等 | 郷社 |
| 創建 | 不詳(崇神天皇代) |
| 例祭 |
1月10日(大祭) 2月10日(春祭) 11月23日(秋祭) |
「産田」は産所の意であり、『日本書紀』(神代巻上)一書には、伊奘冉尊(いざなみのみこと)が火の神である軻遇突智(かぐつち)を産んだ時に焼かれて死に、紀伊国の熊野の有馬村に埋葬されたと記されており、産田の名称は、伊奘冉尊の出産した場所によるといわれる[1]。また、付近に位置する花窟神社が、亡くなった伊奘冉尊の墓所であるとされる[2]。
創立は、崇神天皇の時代とも伝えられるが、天正年間(1573-1592年)に近隣の安楽寺が兵火にかかった際、延焼により焼失したため不詳である。古くは1132年(長承元年)、崇徳天皇が産田神社へ行幸したことが『熊野年代記』に記される[3]。神社の歴史を示すものとしては、1521年(永正18年霜月14日)の棟札が認められる[3]。
1600年(慶長5年)に豊臣秀頼より二王門が寄進されている。また、1732年(享保17年)には紀州藩より灯籠が寄付され[3]、社殿が修復された[1]。
1871年(明治4年)に郷社とされる。1906年(明治39年)12月25日に神饌幣帛料供進社として指定され、翌1907年(明治40年)12月6日には村内の小社5社を合祀した[1]。
祭神
境内
例祭
神徳
- 安産・子授け
- 伊弉冉尊は多くの神々の母であることから、古くより安産や子授け、子育てを祈願し、信仰されている。安産祈願の際、目を閉じて拾った石が丸いと女子、細長いと男子が産まれるといわれる[5]。