田中敏夫
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新潟県中蒲原郡横越村(現 新潟市江南区)出身[注 1]。1941年(昭和16年)3月に新潟中学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、1944年(昭和19年)9月30日に海軍経理学校(第12期)に補修学生として入校、1945年(昭和20年)3月または4月に卒業、6月1日に海軍主計少尉に任官[2]、8月15日に太平洋戦争が終戦、1947年(昭和22年)3月に東京帝国大学法学部法律学科を卒業[3]。
1947年(昭和22年)7月に北越製紙に入社、新潟工場勤労課長を経て[4][注 2]、1970年(昭和45年)8月に本社勤労部長に就任、1973年(昭和48年)7月に長岡工場長に就任、同年12月に取締役 長岡工場長に就任[6]、1977年(昭和52年)1月に取締役 勤労部長に就任[3]、1978年(昭和53年)5月に取締役 営業本部副本部長に就任、1981年(昭和56年)7月に常務取締役に就任[7]、1983年(昭和58年)7月に専務取締役に就任[7]、1985年(昭和60年)7月に取締役副社長に就任[7]、1987年(昭和62年)7月に北越製紙第13代代表取締役社長に就任[8]、1995年(平成7年)6月に代表取締役会長に就任[9]、1997年(平成9年)6月に相談役に就任[10][11][12]、1999年(平成11年)1月に相談役を退任[10]、以後、社賓[13]。
2003年(平成15年)3月12日午後9時25分に東京都中央区の病院で心不全のため死去、79歳没。葬儀・告別式は東京都文京区大塚の護国寺桂昌殿で執り行われた[14][15][16]。