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田中村 (千葉県)

日本の千葉県東葛飾郡にあった村 From Wikipedia, the free encyclopedia

田中村(たなかむら)は千葉県の北西部、東葛飾郡に属していた村。

廃止日 1954年9月1日
廃止理由 新設合併
田中村、柏町、土村、小金町 → 東葛市
現在の自治体 柏市
国 日本の旗 日本
概要 たなかむら 田中村, 廃止日 ...
たなかむら
田中村
廃止日 1954年9月1日
廃止理由 新設合併
田中村、柏町、土村、小金町 → 東葛市
現在の自治体 柏市
廃止時点のデータ
国 日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
郡 東葛飾郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 26.0 km2.
総人口 8,191人
(千葉県町村合併史、1954年9月1日)
隣接自治体 千葉県東葛飾郡柏町、福田村、流山町、富勢村
茨城県北相馬郡大野村、高野村
田中村役場
所在地 千葉県東葛飾郡田中村大字大室
座標 北緯35度54分14秒 東経139度57分34秒
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地理

歴史

村名由来

当地一帯が江戸時代に駿河田中藩(藩主は本多家)の飛び地領であり、船戸にその統治拠点が置かれていたことによる。

元和2年(1616年)、本多正重(本多正信の弟)は下総国で所領を加増されて1万石の大名となり、船戸に陣屋を構えた(舟戸藩)。正重が没すると本多家は8000石の大身旗本となるが、のちに大名への復帰を果たし、上野沼田藩を経て享保15年(1730年)に田中藩へ移された。元和2年(1616年)から明治元年(1868年)まで、当地一帯は本多家領であり続けた。

沿革

この地方は、葛飾郡ののち東葛飾郡に属した。

  • 1873年(明治6年) - 大区小区制施行の際、第12大区8小区に編入される。
  • 1878年(明治11年) - 郡区町村編制法施行の際、以下の村連合を組成する。
    • 若柴村・十余二村・正蓮寺村連合
    • 花野井村・松ヶ崎村連合
    • 大室村・小青田村連合
    • 大青田村・下三ヶ尾村・西三ヶ尾村・上三ヶ尾村・二川塚村連合
    • 船戸村・三ッ堀村・瀬戸村連合
  • 1884年(明治17年) - 戸長役場所轄区域更定の際、以下の単位で同一の戸長役場の所轄に属した。
    • 若柴村、十余二村、正蓮寺村、花野井村、大室村、小青田村および高田村
    • 船戸村、瀬戸村、大青田村、下三ヶ尾村、西三ヶ尾村および上三ヶ尾村
    当地区は、戸長役場の所轄区域および学区が2区に分かれていた(船戸村は下三ヶ尾村外4村とともに1学区を成し、その他の村々で1学区を成していた)が、各村とも農業が主要の生業で生活状態が同じであり、合併には適当な状態だった。
    水利施設等は、用排水路において、大室村、花野井村および小青田村が南相馬郡布施村と、船戸村が東葛飾郡木野崎村と共同分水の関係をもっていたが、合併を妨げるものではなかった。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、田中村・十余二村組合が成立。
    若柴、花野井、大室、正蓮寺、小青田、船戸、大青田(利根運河北部を除く)、上三ヶ尾(利根運河南部)、下三ヶ尾(利根運河南部)、西三ヶ尾(利根運河南部)および青田新田飛地を合併して田中村が設置され、田中村と十余二村(十余二村は旧村のまま)との間に村組合が設置された。
    合併せず村組合としたのは、十余二村が新開墾地で、旧い伝統をもつ他の諸村と民情、風俗、生活状態等を異にしたため。
  • 1891年(明治24年)4月1日 - 田中村大字青田新田飛地を十余二村に編入。
  • 1914年(大正3年)10月10日 - 組合を解消し、田中村が十余二村を編入。
  • 1923年(大正12年)4月1日 - 福田村と共に一部の字区域と名称を変更。
  • 1923年(大正12年)9月6日 - 田中村の自警団が隣接する福田村民と共に福田村事件を起こす。
  • 1938年(昭和13年) - 柏飛行場開設。
  • 1939年(昭和14年)4月5日 - 柏陸軍病院開設。
  • 1949年(昭和24年)4月1日 - 田中村大字十余二のうち、旧陸軍柏飛行場区域を大字中十余二として分離する。

行政

村長

  • 鈴木利三郎 - 1914年就職認可[1]
  • 窪田甚蔵 - 1927年就任[2][3]
  • 松丸厳 - 1936年就任[4]
  • 田中朝吉 - 1947年就任[5]

交通

著名な住民

脚注

参考文献

関連項目

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