田中英二
From Wikipedia, the free encyclopedia
手塚治虫のアシスタントを経て[1]、1950年代から星城朗二や星城夢二の名前で貸本漫画家として活躍する。その後、1960年代に入り、日本で最初の本格的な1話30分の連続TVアニメである『鉄腕アトム』に作画、原画で参加し、それ以降は田中英二名義でアニメ業界を中心に仕事をするようになり、1965年にタマ・プロダクションを創立させる。当初、タマ・プロダクションは虫プロダクションや竜の子プロダクションからの作画作業下請けを中心としていたが、1970年代に入ってから、仕上げスタッフを立ち上げ、仕上げ業務を行うようになり、死後となる1989年頃からは撮影、制作スタッフを拡充し自社で行える環境を整えようになると、多数の作品でグロス請けを請け負えるほど成長することとなった[2]。田中も病魔と闘いながら業務の拡大や後進の育成などに力を注いでいたが、1982年に45歳で死去した。
2000年代半ば以降は『チャージマン研!』の再評価により[3]、『チャージマン研!』の製作元である『ナック』にキャラクターデザイナーとして協力した作品が取り上げられることが多く、『アストロガンガー』、『チャージマン研!』、『ドン・チャック物語』、『星の王子さま プチ・プランス』におけるキャラクターデザインが有名である。
タマ・プロダクション社長を継いだ田中道哉、アニメーターの西城隆詞は実弟[4]。2000年代から2010年代にかけて歌手・アイドルとして活動した萩原舞は大姪(弟・道哉の孫)[4]。