田井の教え子には、後に里吉製作所社長となる里吉賢司がいる。里吉曰く、小学生の夏休みのとき、父の友人である広島大学の教諭であった田井庄之助のもとに預けられた。当時、40歳前後の田井は独身で、海辺の小さな洋館に住んでおり、毎朝、孔子や老子の教えについて話していた。当時小学生の里吉は幼く、その教えの深さを理解するには至らなかったが、後年、中国古典に触れるたびに田井の言葉を思い出すようになったと述べており、特に、老子の思想を好んでいた田井からの教えは、その後の里吉の人生観に影響を与えた[6]。
それから半世紀が過ぎたある日、里吉は田井教授の著書『曹源』を手に入れる。その中で広島大学時代の回想を読み、かつての田井の住まいの近くには著名な学者たちの邸宅があった。里吉が小学生の幼いときに田井の元で過ごしており、蝉しぐれに包まれた夏の日々に、自分のまだ知らない世界がそこにあったことを知る。ある時、大分大学に問い合わせたところ、田井教授がまだ健在であり、89歳を迎え、大分で穏やかに晩年を過ごしていると聞き、里吉は再会を決意する[6]。
田井の家は風雅な桧造りの門を構え、立派なものであったが、里吉は静かな時の流れを感じた。田井は加齢により聴力が衰えていたが、50年前の面影はそのままであり、里吉を見て「お父さんによく似ている…」とつぶやきながら、懐かしそうに田井の友人であった里吉の父の写真を見つめいた。室内には数々の書画や陶磁器が並び、歴史学者としての田井の姿が色濃く感じられる部屋であり、茶室でお茶にも精通していた田井と共に抹茶を味わっていた。静寂の中、茶釜の湯がたぎる音だけが響き、そのひとときは、里吉にとって言葉以上に深く心を通わせるものであった[6]。
そして、部屋に掛けられていた書に里吉は目を留めた。『柴門反關俗客無』
里吉はその読みと意味を尋ねた。田井は絞り出すような声で説明してくれた。『さいもん はんかん ぞっきゃくなし』。粗末な庵の門は閉ざしているが、誰もが自由に入ってこられる。立派な門ではないが、よこしまな思いを持つ者は訪れない。と述べた[6]。
里吉はその言葉の意味を噛みしめ、人生の真理を追い求める者のもとには、同じ志を持つ者だけが集う。まさに田井教授の生き方そのものだったと述べた。二時間ほどの再会はあっという間に過ぎ、別れ際、里吉は先生の両手をしっかりと握り、庵を辞した。その1年後、田井の訃報が里吉の元に届いた。田井の90年の生涯は終わりを迎えたが、田井が遺した一首の短歌が、里吉の印象に強く残っていた。
大分県にある宇佐神宮に参拝した際に、以下の短歌を遺している[6]。
『蝉しぐれ こころにしみて はるかなる 一すぢの道を 君とのぼれり』