田代三千稔
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旧制福岡県立東筑中学校、旧制第五高等学校を経て、1924年に東京帝国大学文学部英文学科を卒業[2]。五高の同窓に劇作家の木下順二、帝大時代の同期生には作家の北村喜八がいた[2]。
1946年3月日本大学教授となり、同年10月には鎌倉アカデミアという特殊の教育機関の教授も兼ねた[2]。
横浜市立大学が横浜医科大学と統合した1952年4月には、かねてから親交のあった三枝博音学長から招かれて、教授に就任し、図書館長などの役職に就いた[3]。
1964年3月横浜市立大学を定年退職し[4]、その4月には開学2年目の鶴見女子大学(現・鶴見大学)の教授として赴任。以来12年間、英米文学科の文学関係の諸科目を担当。第2代英米文学科長を務め、1976年3月をもって大学を退職した[1]。