『続日本紀』巻第三によると、文武天皇の慶雲2年12月(706年)、同じ従六位下の佐伯男・阿倍真君・巨勢小邑治・紀男人らととも四階昇進して従五位下に叙爵する[3]。
史書に名前が登場するのは以上であるが、『万葉集』巻第三には、以下のような和歌が収載されている。
田口広麻呂
(たぐちのひろまろ)の死ぬる時に、
刑部垂麻呂(おさかべのたりまろ)の作る歌一首
百足(ももた)らず 八十隅坂(やそくまさか)に 手向(たむけ)せば 過ぎにし人に けだし逢はむかも
((百足らず)曲がり角の多い坂で、神にお供え物をしたら 死んでいった人に ひょっとして逢えるだろうか)
[4]
ここで、田口広麻呂の姓が省略されているのと、五位以上の官人である広麻呂の死去が、六位以下の庶民の没する場合に用いられる「死」という語で表記されている理由は不明である[5]。