文武朝の慶雲2年12月(706年)一族で従六位上の狛秋麻呂と阿倍安麻呂、同じ従六位下の佐伯男・田口広麻呂・巨勢小邑治・紀男人らとともに昇進して従五位下に叙爵する。翌慶雲3年(706年)大伴男人の後任として大倭守に任官する。
慶雲4年(707年)11月に威奈大村の後任として越後守に任ぜられるが、『続日本紀』では翌年の和銅元年(708年)3月にも越後守の任官記事がある[1]。この時の任官記事には、大伴安麻呂の任大納言、阿倍宿奈麻呂の任中納言、笠麻呂の任美濃守といった重複が多く見られ、これらをただの記事の重複とするか、あるいは再任と解釈するのかは、意見が分かれている[2]。