田向長資
From Wikipedia, the free encyclopedia
伏見宮家の女児の深曾木・髪置の役は長資が務めるのが佳例とされ、智久・めここ・理延・ちよちよ・雲岳聖朝のほか、後花園天皇の皇女・観心の際も髪置の役を務めた。また、伏見宮貞成親王の第四王女を養君としていたが、永享2年(1430年)8月10日に夭逝する。また、同年に父・田向経兼が将軍・足利義教の勘気に触れて失脚すると、長資も姉妹の近衛局(一条局)とともに祗候を留められた。永享5年(1433年)従三位に叙せられ公卿に列す。永享8年(1436年)4月に山城国大野荘を没収された経兼が出家した後も長資は伏見に住し、永享9年(1437年)12月には山城国大野荘を返付されている。
嘉吉元年(1441年)の義教の没後は再び貞成親王に近仕する。またこの頃より、嘉吉2年(1442年)正三位、嘉吉3年(1443年)参議、文安3年(1446年)権中納言と昇進し、文安4年(1447年)従二位に至った。