田宮高麿
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岩手県出身。大阪府立四條畷高等学校卒業。大阪市立大学第二部(夜間部)で学生運動に参加。ブント内の組織である「共産主義青年同盟(通称キム)」の常任委員長となる。
1970年3月31日に仲間8人とともに日本航空機のよど号をハイジャックした(よど号ハイジャック事件)。このハイジャック事件では実行の首謀者であった。よど号は当初は、平壌と誤認させてソウルの金浦国際空港に降りさせる偽装工作を行っていたが、田宮は当初これに気がつかず、他のメンバーに指摘されて偽装工作に気づいた[1]。田宮は乗客に対しメンバーの中でただ一人苗字を明かした人物である。金浦国際空港での政府との交渉の末、乗客を解放をする際に、田宮は別れを主題にした詩吟を謡った。
4月3日に北朝鮮に渡り、その後は現地に在住しながらよど号グループのリーダーとして活動を続けた。後年知人でジャーナリストである高沢皓司から日本人拉致問題について追及を受けている。これに対し田宮は「難しい問題だが(解決に)努力したい」と語っている。