当時栗原郡岩ヶ崎領主で、後に岩沼藩主となる田村宗良の三男として出生した。母は『寛政重修諸家譜』では山口重如の娘とする。延宝2年(1674年)に徳川家綱に初御目見を済ます。延宝6年(1678年)に父が死去する。次兄の建顕が家督を相続し、岩沼藩主、次いで一関藩主となる。建顕が諱を「宗永」と称していた頃から舎弟の一人として武鑑に登場しており、天和3年(1683年)刊行の武鑑に「御二男 田村主殿 殿」の記載がある。
元禄7年(1694年)8月21日に兄の建顕より蔵米700俵の内分分知を受けて分家し、旗本寄合席に列する。元禄9年(1696年)に兄に先立って死去する。享年38。法名は自牧。墓所は芝東禅寺。
実子は娘1人のみのため、末期養子として弟の顕始が跡を継いだ。娘は建顕の養女となって永井尚品(修理)と婚約するが早世した。