田沼肇
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群馬県桐生市生まれ[1]。本籍東京市(現港区)。武蔵高等学校卒、1948年東京帝国大学経済学部卒、商工省調査統計局勤務[1]。1950年法政大学大原社会問題研究所勤務、1963年同社会学部助教授、1964年教授[1]。1970-1971、1978-1981年社会学部長。1993年退職、名誉教授。1983年原水爆禁止日本協議会代表理事[2]。
1987年に発病し、1995年パーキンソン症状を伴う進行性核上性麻痺と診断される。1993年東京都重度心身障害者手当を申請するが、判定医の診断により却下される。同年決定の取り消しを求めて提訴し再申請、手当は1995年に認められ支給されるようになる。1998年東京都に対し、在宅障害者の介護実態を重視した補助制度を求め、東京地裁に提訴。同年9月控訴[3]。1999年控訴棄却、上告申請をするが不受理[4]。
妻は田沼祥子(1928年 - )。