五十嵐仁
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- 1951年、新潟県中頸城郡大瀁村(現・上越市頸城区)で専業農家の家に生まれる。
- 1969年、東京都立大学入学(東大紛争で東京大学入試中止)。学生自治会副委員長に就任し自衛官入学反対運動などに従事。
- 1970年、学生自治会委員長に就任し、安保闘争を指揮した。
- 1971年、右目を竹竿で突かれ、失明する。犯人は傷害容疑で逮捕された。
- 1974年、東京都立大学経済学部経済学科卒業。
- 1978年、法政大学大学院社会科学研究科社会学専攻修士課程修了(総代)。中林賢二郎ゼミに参加。大学院学友会委員長。
- 1982年、法政大学大学院社会科学研究科社会学専攻博士課程単位取得満期退学。
- 1983年、法政大学大原社会問題研究所兼任研究員(三宅明正とともに採用)。
- 1987年、佐藤博樹の異動に伴い同所専任研究員・助教授に就任。
- 1996年、同所教授。
- 2000年、ハーバード大学ライシャワー日本研究所客員研究員。
- 2003年、法政大学大原社会問題研究所副所長。
- 2008年、同所所長(-2012年)
- 2014年3月、法政大学を定年退職。名誉研究員。
- 2015年12月、東京都八王子市長選挙への出馬を表明(無所属、共産・社民推薦)。
- 2016年1月、東京都八王子市長選挙で、現職の石森孝志(無所属、自民・公明推薦)に41,830票差で敗れ、落選。
主張
- 自民党から、左翼諸政党が結集した「大左翼」による政権交代の呼びかけている[1]。
- 2012年9月17日のブログでは、2012年9月に中国で起きた反日デモでの略奪や破壊行為について、「今回の事態の引き金を引いたのは石原都知事にほかならず、事態をここまで悪化させた全ての責任はこの人物にある」と前置きした上で、「日系企業は10億円以上の損害を出したと言われていますが、それは全て石原都知事に請求するべきでしょう」と述べた[2]。
- 平和・民主・革新の日本をめざす全国の会(全国革新懇)代表世話人を務めている。
- 八王子市長選では「うがい薬はイソジン! ジョン・レノンの歌はイマジン! 八王子市長はイガジン!」と主張した。