田部長右衛門 (21代)
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出雲国能義郡、後の母里村[4](伯太村、伯太町を経て現安来市)で宇山清左衛門の弟として生まれ[1]、1874年(明治7年)1月、飯石郡吉田村(現雲南市)の鈩製造業[4]・先代周重の養子となり、1885年(明治18年)4月に家督を相続し[1]、21代長右衛門を襲名した[4]。
1884年(明治17年)島根県会議員に選出され[4]、1889年(明治22年)吉田村名誉村長に就任[5]。1890年(明治23年)島根県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[6]から1897年(明治30年)9月28日まで在任した[2]。
1879年(明治12年)出雲国鉄師頭取に就任したが、1923年(大正12年)和鉄の衰退を受けて製鉄業を廃業し、山林業の進展を図り、地域の産業振興に尽力した[4]。1926年(大正15年)退隠し、前名長右衛門を改め、長秋を名乗る[3]。