田麗玉
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政界入り以降
2004年3月ハンナラ党に入党し、同年4月の総選挙で国会議員に当選、同党広報責任者に就任した。与党ウリ党批判に得意の毒舌を振るう。2男1女の母親でもある。
李明博大統領就任後に行われた2008年4月の第18代総選挙で再選された。第18代国会では、国土海洋委員会委員や出産高齢化対策特別委員会幹事、ハンナラ党の戦略企画本部長などを務めた。2012年3月、4月に予定されている第19代総選挙におけるセヌリ党(ハンナラ党が2012年2月に党名改称して発足)の公薦から脱落したことをきっかけに同党を離党して、保守系中道新党「国民の考え」に入党した[2]。総選挙では比例名簿1位で立候補したが、セヌリ党と民主統合党の狭間で埋没した結果、0.7%の支持に留まり議席を獲得できず落選した[3]。その後、2016年時点では政界に戻る意思はないと明言した[4]。
なお、田は朴槿恵がハンナラ党代表であった時期に彼女を補佐し、報道担当者を務めたが、大統領候補選挙の途中に李明博の方に鞍替えした[4][5]。補佐官を務めた時期から朴槿恵と崔太敏・崔順実の関係を知っていたため、朴槿恵は大統領を務める資質がなく、大統領になったら大変なことになると述べた[4][6]。ただし、朴のプライバシーに配慮して長い間にメディアでこのことを言わず[4]、崔順実ゲート事件の発覚以降にようやく朴槿恵の過去について話した[6]。また、国民の力元代表の李俊錫とも仲が悪い。2011年当時、田は李と一緒に放送に出演したが、入党ばかりの李はそこで「朴槿恵キッズ」として田を「背信者」と呼んだため、田も李を「朴衛兵」と呼んで応酬した。さらにその後に李は何事もないように田に挨拶し、田を驚かせた[7]。