由布氏
日本の氏族
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歴史
『姓氏家系大辞典 第三巻』によれば『大神佐伯系図』に「植田忠綱の男有里(由布氏)」とあり(稙田有綱の間違いか[要出典])、『将士軍談』では由布加賀守を「大神惟基24代、由布氏12代の孫」としている。『姓氏家系大辞典 第三巻』では混同がみられるが『柳河藩享保八年藩士系図』によると由布加賀守の系統と由布美作守の系統がある。
『近世大名立花家』によると7代当主・由布和泉守惟宗以後系統は大きく二つに分かれ、それぞれが「正嫡」、「庶嫡」と称したとある。武蔵守から4代後の大炊介惟刑の頃に家が衰退。その子・加賀守惟克は戸次親家の妹(立花道雪の叔母)を娶り勢力の挽回をはかった。惟克の代にはまだ客分のような扱いであったが、その子・甲斐守家続の代になって戸次親家に臣従する。道雪の立花山入城には次男・大炊介惟時を従えており、嫡男・伊豆守惟重は豊後に残している。
一方、美作守惟信の家は庶嫡家の本家であり、こちらも大友家の直臣であったが惟信の父・美作守惟巍あたりから立花道雪に従うようになったとされる。この家でも長兄は豊後藤北に残り、次男である惟信が道雪の立花山入城に従っている。
加賀守系 「正嫡家」
由布加賀守の系統は大友氏の下で初め豊後吉野に在城し、後に由布院山城主となる。大分市杉原(すぎばる)を吉野地区といい、杉原にある吉野臥竜梅のいわれに登場する大友義鎮(宗麟)の逸話には宗麟の御用人 油布弥太郎が登場し、弥太郎の子孫である油布家が杉原に点在する。古来、由布山を油布嶽と表記していた。また、由布岳の山頂基準点名は「油布山」との表記であり、大分県にある油布氏は圧倒的に油布との表記が多い。 由布家続を初め戸次氏及び立花鑑連の重臣を輩出し、後に柳河藩士となった。また、同家の分家が奥平松平家の松平忠明(下総守)に仕官する。
美作守系 「庶嫡家」
由布美作守の系統は立花宗茂重臣である由布惟信 (由布雪下) の代で台頭し、柳河藩の重臣や家老を輩出した。同系統の嫡流は立花姓を賜姓され、筆頭家老家である立花壱岐家となった。
系譜
脚注
参考文献
- 『姓氏家系大辞典 第三巻』太田亮著・角川書店・昭和38年初版
- 『柳川歴史資料集成第二集 柳河藩享保八年藩士系図・上』 柳川市史編集委員会編・ 福岡県柳川市 1996年(平成8年)発行
- 『柳川の歴史 4 近世大名立花家』 柳川市史編集委員会編・ 福岡県柳川市 2012年(平成24年)発行
- 『柳川歴史資料集成 第1集 柳河藩享保八年藩士系図』 柳川市史編集委員会編・ 福岡県柳川市 1996年(平成8年)発行
- 『柳川歴史資料集成 第2集 柳河藩享保八年藩士系図』 柳川市史編集委員会編・ 福岡県柳川市 1997年(平成9年)発行
- 『神孫豊後大神氏』木村/高士著・新人物往来社 1991年(平成3年)発行