1895年(明治28年)11月23日 に久邇宮家の邦憲王[注釈 1]と同妃好子の第1王女子として誕生し、御七夜の11月30日に「由紀子」と命名された[1]。
少女時代は京都市に居住し、京都市第一高等小学校に通学し、自らも学友らと一緒に掃除をした[2]。
1914年(大正3年)3月28日に婚姻の予定であり、同年3月26日付で勲二等宝冠章を受章し、3月27日の『官報』第496号に式次第も掲載されていた[3]。しかし、結婚は何らかの事情で、急遽翌年に延期されている。
1915年(大正4年)4月30日、町尻量弘子爵の養嗣子で侍従武官の町尻量基との婚姻により臣籍降下(降嫁)した[4]。
1945年(昭和20年)12月10日に夫と死別した。
1946年(昭和21年)1月11日に逝去し、皇族及び王族(李王妃方子女王)が喪に服した[5]。