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界 (社会学)

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(かい、: champ: field)とは、ピエール・ブルデューの社会学において、行為者や組織が占める位置の間の客観的な関係によって構成され、各位置の保有する資本の種類と量をめぐって競争が行われる、境界を持つ社会的空間をいう[1]。日本語では「場」と訳されることもあるが、ブルデュー研究では、内部と外部を分ける境界を持つことを示すために「界」の訳語が用いられている[1]

ブルデューとロイック・ヴァカンは、界を「位置の間の客観的諸関係のネットワークまたは配置」と定義した[2]。界を構成するのは単なる個人の集合や物理的な場所ではなく、支配、従属、競合、協力などの関係によって定義される位置の構造である[1]

芸術界、文学界、学問界、科学界、宗教界、政治界、ジャーナリズム界、官僚界などが界概念による研究対象となってきた[3][4]。ただし、社会に存在するすべての集団、組織または活動領域が自動的に界となるわけではない。界の存在と境界は、その領域に固有の資本、利害、競争、参入条件および自律性が形成されているかを調査して判断する[2][5]

概念の成立

ブルデューは、1966年の論文「知識人界と創造的企図」において界概念を初めて本格的に用いた[6][1]。この時期のブルデューは、芸術作品や思想を作者個人の才能や社会階級から直接説明するのではなく、作者、批評家、出版社、教育機関などが形成する関係の構造を通じて説明しようとした[6]

界概念は1970年代を通じてハビトゥスおよび資本の概念と結び付き、1979年の『ディスタンクシオン』において実践理論の枠組みへ統合された[7][1]。磯直樹は、界概念の用法が『ディスタンクシオン』以前には安定しておらず、ブルデューの研究対象と方法の変化に伴って発展したと説明している[1]

ブルデューはその後、文学・芸術、大学、科学、政治、官僚制などの研究に界概念を適用した。『ホモ・アカデミクス』ではフランスの大学界、『芸術の規則』では19世紀フランスの文学界が形成される過程を扱った[8][9]

構造

位置と位置関係

界の基本単位は、個人そのものではなく、その個人または組織が占める位置である。各位置は、他の位置との支配、従属、競争、接近または対立の関係によって定義される[2][1]

例えば文学界では、作家、批評家、出版社、文学賞、大学、新聞などが異なる位置を占める。個々の作家の作品や発言を理解するには、その人物の性格だけでなく、既成の権威、新規参入者、商業的成功、芸術的評価などをめぐる位置関係を調べる必要がある[9]

ブルデューは、行為者が占める客観的な場所を位置: position)、作品、発言、政治的態度、学説などの選択を立場表明または位置取得: position-taking)として区別した。どのような立場表明が選ばれるかは、界における位置と、行為者が身に付けたハビトゥスとの関係から生じる[3][9]

資本

各界では、その内部で価値を持つ資源が資本として機能する。資本の量と構成は行為者の位置を左右し、他の行為者へ影響を及ぼす力や、界に固有の利益を得る可能性を生む[1]

経済資本文化資本社会関係資本などの価値は、すべての界で同一ではない。ある知識、資格、財産または人脈が資本となるかどうかは、その資源を評価する界が存在するかによって決まる[10][1]

例えば、販売部数や収益は文学界における経済資本となり得る一方、批評家や同業者からの評価は文学界に固有の象徴資本として機能する。商業的成功と芸術的評価が一致しない場合、どちらの資本を重視するかをめぐって対立が生じる[3][9]

界の支配的な行為者は、保有する資本を利用して既存の価値基準と資本の分配を維持しようとする。新規参入者や従属的な位置にある行為者は、新しい作品、方法、分類または評価基準を持ち込み、既存の秩序を変更しようとする場合がある[2][1]

競争とゲーム

ブルデューは界を、明文化されていない規則に従って行われるゲームに例えた[2][5]。界には、獲得する価値があると参加者が認める対象、参加資格、正当な戦術、反則とみなされる行為などが存在する。

ただし、界の規則は固定された公式規則ではない。参加者は賞や資本をめぐって争うだけでなく、何を価値ある賞とみなすか、誰を正当な参加者と認めるか、どの行為を正統と評価するかについても争う[2][1]

界へ参加し、その争いに価値があると認めて時間や資源を投入することを、ブルデューはイルーシオ: illusio)と呼んだ[2]。参加者の間で疑われることなく共有され、議論の前提となっている信念や分類はドクサ古希: δόξα)と呼ばれる[11]

界における対立は、共有される前提をすべて否定するものではない。既存の規則を守る側と変更しようとする側の双方が、その争い自体に参加する価値があるという認識を共有している場合、両者は界の存続に共同で関与している[2]

ハビトゥスとの関係

ハビトゥスは、過去の生活条件や経験を通じて身体化された知覚、判断および行為の性向である。界は行為者の外部に存在する位置関係の構造を表し、ハビトゥスは行為者がその構造をどのように知覚し、対応するかに関係する[11][1]

ブルデューは『ディスタンクシオン』において、実践をハビトゥス、資本および界の関係から表した。磯はこの関係を、ハビトゥスのあり方によって資本の効果が変わり、資本の効果も界ごとに異なるという枠組みとして説明している[7][1]

界の構造とハビトゥスが適合する場合、行為者は規則を逐一計算しなくても、その場面に合った行為を取ることができる。ブルデューはこの実践的な理解を「ゲーム感覚」または「実践感覚」と表現した[11]

一方、異なる社会環境で形成されたハビトゥスを持つ行為者が新しい界へ参入した場合や、界の構造が急速に変化した場合には、ハビトゥスと界の間にずれが生じる。このずれは、行為者の戸惑い、適応の困難、既存規則への異議などとして現れ得る[2]

境界と参入

界は境界を持つが、その境界を地理的範囲や組織の名簿だけで確定することはできない。ブルデューとヴァカンは、界の境界は「界の効果が及ばなくなる地点」にあり、実証研究に先立って決定できないと説明した[2]

誰が界に参加できるか、どの作品・職業・組織を界の一部と認めるかは、界内部の争いの対象にもなる。既存の参加者は、学歴、資格、専門知識、作法、審査制度などを参入条件として設定し、新規参入者を選別する場合がある[4]

ブルデューは、界への参入に必要となる専門能力や承認を「入場料」に例えた。科学界では専門的な知識、研究方法、査読、研究業績などが参入と評価に関係し、芸術界では作品制作だけでなく、批評家、画廊、出版社、賞などによる承認が位置の形成に関係する[4][9]

界の境界は固定されず、専門職化、国家資格の創設、新しい媒体の登場、技術革新、組織の参入などによって変化する[2][5]

自律性と他律性

界の自律性とは、その内部に固有の評価基準、資本、規則および歴史が形成され、政治、宗教、経済などの外部の力をそのまま受け入れず、界内部の論理に従って処理する程度をいう[9][5]

19世紀フランスの文学界では、国家、教会、富裕な依頼者または市場の要求から距離を取り、「芸術のための芸術」を掲げる作家や芸術家が現れた。ブルデューは、この過程を文学界が独自の評価基準と象徴資本を形成する自律化として扱った[9]

自律性は完全な独立を意味せず、程度の問題である。新聞社は販売収入、広告、政治権力などの影響を受ける一方、報道上の専門規範、同業者からの評価、取材慣行など独自の規則も持つ[12]

外部の政治権力、市場、広告主、視聴率などが界内部の評価基準より強い影響を持つ状態は他律性と呼ばれる。自律的な極では同業者や専門家からの評価が重視され、他律的な極では収益、政治的影響、知名度など外部から持ち込まれた資本が重視される[3][9]

各界の自律性は歴史的に形成され、失われることもある。客本敦成は、ブルデューが権力界概念を導入したことにより、個別の界を固定的で独立した構造としてではなく、他の界との関係の中で変動するものとして扱うようになったと説明している[5]

社会空間および権力界との関係

ブルデューのいう社会空間は、経済資本、文化資本などの総量と構成によって社会的位置を配置する、多次元的な関係空間である[7]。界は社会空間と同一ではなく、特定の活動、資本、利害および規則が形成された比較的限定的な空間を指す[1]

一人の行為者は、職業、教育、芸術、政治など複数の界に同時に関与し得る。それぞれの界で有効な資本は異なり、ある界で優位な位置を占める者が別の界でも同じ位置を得るとは限らない[2]

権力界: champ du pouvoir)とは、政治、経済、官僚、大学、芸術など各界の支配的な位置を占める者が、自らの保有する資本の相対的な価値と社会全体の支配原理をめぐって争う空間である[13]

権力界は、個別の界を一元的に指揮する単一の組織ではない。経済資本を多く持つ企業経営者、文化資本を多く持つ学者・芸術家、政治・官僚機構を担う者などが、異なる資本を用いて社会的な優位と正統な支配原理を争う関係空間である[13]

ブルデューは国家について、法的資格、統計分類、教育制度、公用語などを通じて社会的な分類を公認する力を持つと論じた。国家が蓄積するこの力は、他の資本の価値を決定するメタ資本として界の構造へ影響する[14]

界の変動

界の構造は、参加者が保有する資本の分布と、その資本の価値をめぐる争いによって変化する[2]。既存の支配者は、現在の分類、評価基準および継承制度を維持する保守戦略を取り、新規参入者は、従来とは異なる作品、学説、技術または評価基準を持ち込む転覆戦略を取る場合がある[3]

新規参入者による変革も、界の規則を全面的に否定するとは限らない。前衛芸術家が既成の芸術を批判する場合でも、芸術作品を制作し、批評や展示を通じて承認を求める限り、芸術界に参加する価値を認めている[9]

界の変化には、内部の世代交代や競争だけでなく、戦争、経済危機、国家政策、技術革新、教育制度の変化、新しい通信媒体なども関係する。外部の変化はそのまま界へ伝わるのではなく、既存の位置関係や規則を通じて異なる形に変換される[2][5]

調査方法

界概念は、社会現象をあらかじめ固定された集団や個人属性から説明するのではなく、位置間の関係として研究対象を構成するための分析概念である[1]。磯は、ブルデューがハビトゥス、資本、界を「開かれた概念」と位置付け、経験的な調査を通じて具体的な内容を確定する方法を採ったと説明している[1]

ブルデューとヴァカンは、界の研究について、主に次の三段階を示した[2]

対象となる界と権力界との関係を明らかにする。

行為者や組織が占める位置の客観的な関係構造を明らかにする。

行為者のハビトゥスと、位置に応じて形成される性向を検討する。

実証研究では、経歴、学歴、所属組織、収入、受賞歴、出版実績、人的関係などの資料を用いて、行為者の保有する資本と位置を調べる。ブルデューは、統計分析、文書資料、インタビュー、参与観察などを組み合わせ、特に多重対応分析を用いて位置関係を図示した[7][8]

界の境界、固有の資本、規則および自律性は、理論上の定義だけで決めず、研究対象ごとに確かめる必要がある。磯は、界概念を理論と経験的調査を媒介する概念として位置付けている[1]

応用

ブルデュー自身は、文学・芸術、教育、大学、科学、宗教、政治、官僚制、住宅市場などの研究に界概念を用いた。

文化生産

文学界・芸術界の研究では、作品の内容だけでなく、作家、芸術家、出版社、画廊、批評家、賞、教育機関、購入者などの関係を扱う。『芸術の規則』は、フローベールらの活動を、19世紀フランス文学界の自律化と位置関係の変化から説明した[9]

教育・学問・科学

『ホモ・アカデミクス』は、フランスの大学教員が保有する学問資本、文化資本、政治的影響力などを調べ、大学界内部の位置関係と1968年の大学紛争との関係を扱った[8]

『科学の科学と反省性』では、科学的事実の妥当性を研究者個人の利害から直接説明するのではなく、批判、検証、競争を制度化した科学界の自律性との関係から論じた[4]

ジャーナリズム

ジャーナリズム界の研究では、新聞、テレビ、記者、編集者、広告主、政治家などの関係と、経済的成功、視聴率、速報性、専門的評価など複数の資本を扱う[12]。磯は、界概念を用いることで、個々の記者や報道内容を、メディア組織およびより大きな権力関係と結び付けて研究できると説明している[1]

批判と課題

境界の確定

界の境界は「界の効果が及ぶ範囲」によって決まるが、何を界の効果と認定するかは調査上の問題となる。リカルド・リヴァは、ブルデューが界の客観的な存在を前提とする一方、その境界を参加者間の分類闘争によって決まるものとしており、両者の関係が十分に明示されていないと批判した[15]

あらゆる活動領域を界と呼べば、概念の範囲が過度に拡大する。界の存在を主張する場合には、固有の資本、規則、参入条件、競争および相対的自律性が実際に形成されていることを示す必要がある[1][15]

界以外の社会的状況

ベルナール・ライールは、人間の生活には、界のように制度化された競争の構造を持たない家庭生活、友人関係、一時的な相互作用なども多く存在すると批判した[16]

ウィル・アトキンソンは、ライールが界以外の状況と個人が持つ複数の性向を重視した点を評価する一方、ブルデューの理論にも界の外部や複数の社会的文脈を扱う余地があると反論した[17]

界間関係と自律性

ジュリアナ・ミラルディは、ブルデューが個別の界の内部構造を詳しく論じた一方、界と界との関係、自律性が成立する条件、国家が各界へ及ぼす作用については理論上の不明確さが残ると論じた[18]

行為者は複数の界を移動し、資本を別の界へ転換する。また、国家、企業、報道機関などの組織は複数の界にまたがって活動する。このため、個別の界を独立した閉鎖空間として扱わず、界間の資本移動、相互作用および力関係も調査対象とする必要がある[18][5]

関連項目

脚注

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