畑田国男
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慶應義塾大学経済学部を卒業後、同大学院経済学専攻に進み、1967年に博士課程修了[1]。在学中、漫画研究会に所属し、鈴木義司に師事した[1]。大沢商会広告課を経て漫画家専業となる[1]。
漫画家としては主に「悪魔」をモチーフとしたイラスト・漫画作品を『SFアドベンチャー』や『週刊ベースボール』などに掲載していた。
1973年に自費出版した「宇宙船ノア」で第2回日本漫画家協会賞大賞を受賞[1]。第2回読売国際漫画大賞優秀賞、ペスカラ国際漫画大賞優秀賞を受賞する[1]。
また著述家としては「兄弟姉妹型」の研究についての書籍を多く発行し、「姉妹型の会」世話人も務めた[1]。
プロ野球中日ドラゴンズのファンで、アンチ巨人としても知られ、他チームのプロ野球ファンとともに1982年にアンチ巨人ファンの集まり「嫌巨会」を結成。「畑田国男と嫌巨会」の名義で『アンチ巨人読本』『アンチ巨人狂本』の2冊の本を刊行している。のちに漫画情報誌『コミックボックス』で、畑田ら数人の漫画家が電気事業連合会の原子力発電推進広告にかかわったことを批判的に取り上げた際、勘違いからか「畑田氏と言えば巨人ファンとして知られるが、巨人ファンはやはり体制迎合なのだろうか」というキャプションが付けられていた。
『週刊読売』1990年3月4日号の連載コラム「女の目男の目」の中で、「家畜人・アッシー君」と題する文中の、「士農工商・代理店・そのまた下のフリーランス」表現が問題となった[3]。翌週号で「お詫び」が出され、そのエッセイの「全面取り消し」の措置が取られ、畑田はレギュラー執筆陣から降ろされた[3]。
1996年に51歳で死去。急性心不全とも伝えられているが[4]、横田順彌は「畑田さんはぼくの本を幾つかやってくれたんですけど、若くして自殺しちゃったんです。理由は何だかよく判らなかったですね」と発言している[5]。